業界の景気

月初に某取引先社長の談話で、流石に今般の不景気は翻訳業界にも来ていると聞いた。
なんでも、かつては聖域だった大企業各社の研究開発費が削られたあおりなのだとか。
……と言いつつその会社、半月規模の案件を2件目よこしたところなのだが。
まあゲーム翻訳は性格が違う、と言われても分からないでもない。
オンラインゲームは固定客がいる業界だということか。


一方、某海外取引先が「業績好調につき翻訳者紹介キャンペーンを実施」なるメールをよこした。
紹介した人材が採用された場合、社員なら初任給の一割、登録翻訳者なら100P分の報酬だとか。
そこの社員は電話でもメールでも優秀そうな空気を滲ませる人物ばかりだが、なんとも羽振りのいい話だ。


かくして私個人にはあまり景気の影響が及んでいる実感がない。
受注量の変動は元からあるし、月単位で数えるほど大きな波があるわけでもない。
尤も、変動を抑えるべく随分あちこちに登録してはいるのだが。

英語対和製英語

セシールにハイテンションパンツという商品がある。
縦横の伸縮性に優れた、いわゆるストレッチパンツの一類型なのだが、
どうもハイテンションと聞くとつい笑ってしまう。
「マンションよりハイテンション」なる不動産CMが流れていたりして、
#サンバ隊が賑やかに押し寄せる
ハイテンションという響きには緊張や張力といった元のtensionの意味を見いだせない。
テンションが上がる、高いといった表現もまたしかり。
ここまで来ると和製英語と言うべきか新しい日本語と言うべきか迷うところだ。
日本語の「テンション」は、緊張というより高揚に近いのではと思う。
緊張しすぎると笑ってしまう現象が由来だったりするのだろうか。

べきべきねばねば

私の身近な人々、特に同郷の人々には鬱ないし類似疾患の人が多い。
いずれも「まじめで」「責任感が強く」「しっかりした」性質の強い人ばかり。
そんなことはよく新聞やら公報やらで目にするのだが、では何故そうなるかという話は聞かない。
専門医にしか公に語る資格はないのかもしれないが、まあ言論の自由ということで考えを書いてみる。


上記の性質が強い人は、許せないモノ・コト・ヒトが多いのではないだろうか。
・まじめさ故に、自分と接する相手にも何らかの誠意を求めてしまう。「相手もまともなはずだ」
・責任感故に、手元の仕事を放置できない。「これは・今・自分が・やらねば」
・しっかりしているという外部評価がこの二つに加わり「まさか自分がいい加減なことはできない」となる。
・そして「何でこうなるの(そんなはずはない)」と落ち込み、更に自分を咎める。
かつ、何かと「はず」「ねば」「べき」という帰結にたどり着きがちな人は理不尽なモノ・コト・ヒトに弱い。
雨が降ったり、景気が悪くなったりというような現象は、たいてい一個人のせいではない。
もし誰かのせいだとしたら、よほどの権力者であろう。
だがそういうことも、往々にして「自分の・誰かの行いが悪いから?」と考えがちだ。


そして、そういう人に「自分を責めないで」と声を掛けると、責め場がなくなって余計につらくなる。
本来は自分も他人も責める必要はないことでも、「自分を責めないで」と言うことで逆に「誰のせいなのか」気になるのだ。
ではどう話しかけるべきかというと難しいところだが、「誰も悪くない」というのも正解ではないと思う。
かといって「そんなこと気になさるな」と言って立ち直るぐらいの人は病院沙汰にはなるまい。
話をそらして済む場面ならそうするに越したことはないだろうが、「まじめさ」故に食いつかれたらどうしたものか。
恐らく、できる限り誠実に聞き流すのが無難だろうと思う。
「私はあなたを理解してあげる」と伝えてしまうと相手には重いが、「理解できない」と突き放すのもおかしい。
「理解してあげたいとは思うけれど、無理はしないで」という心情だけをうまく伝えられないものか。
……そう、べきべきねばねばを改善してあげたいと思ったら、自分がべきべきねばねばと考えるのは滑稽な話。「変だと思う」「多分それでいいんでないの」ぐらいのいい加減さが欲しいところだ。
いかんせん、べきべきねばねばな人が尤も許し難いものはいい加減さなのだが。

誕生日の意義

先日、旧友の誕生日にメールしたとき思わず「もうめでたくないかな?」と書いてしまった。
「それもそうだね…」とアレなメールが返ってくる微妙なお年頃。


ふと思ったのだが、誕生日を迎えてめでたいのは本人ではなくその親ではなかろうか。
特に幼少時は他の年齢層と比べ生存率が低い。
物心がつく前の誕生日は、きっとそこまで育てた親を労う節目なのだ。
就学したころから自分の誕生日を認識し、待ちこがれるのはプレゼントをもらう口実だから。
満年齢が変わったところで法律上の地位が違う程度の影響なので、特に年を取りたい理由はなかった。
尤も、今では翻訳者という職業柄、若いより年かさな方が信頼は得やすそうだ、という事情はあるが。


さて「めでたくないかも」と感じてしまう年頃の誕生日は、誰をどう祝ったものか。
やはりここは、これまで育て、生活力をつけてくれた両親に感謝する日でいいのでは。
自分の力で生活しているようであっても、その基礎を与え、投資してくれた人あってこその今である。

急用なのに

特定の会社や担当者個人を中傷する意図はないのだが。
「急ぎの案件」と電話してきた人が、1時間経っても連絡をよこさない。
体裁が対訳型になるか上書き型になるか、と聞いただけなのに答えがない。
「担当者に聞いてみます、どちらが手間にならないか」
で、彼女の手間と、相手の手間がかかり、私の時間が奪われていく。
時間いくらの仕事ではないだけに、受注が確定してから時間を潰されるのは痛い。
納期は明後日の朝。しわ寄せは全てこちらに来るのだ。


私が余計なことを質問してしまったのかもしれない。
こちらとて無駄な手間を掛けることに利はないので、善意のつもりだったのだが。
それにしても、翻訳会社が味方してくれなかったら翻訳者は本当に孤独だ。
自分で仕事が取れないばかりに、相手担当者に不満があっても呑み込んで付き合う他ない。
ま、世間一般の下請けなんてそんなものかもしれないが。

中国のお買い物代行サービス その弐 使ってみた

ちょうどPayPal口座に半端な米ドル残高があったので、それを使ってPanliで買い物代行なるものを体験してみることにした。


手順は意外と簡単。
1.ネット通販の店舗で商品を選ぶ
2.商品のURLをショッピングカートの該当欄に貼り付ける
3.決済方法を指定する
……その後、品物がPanliに届いたら発送について指定する(予定)


まず、好きな店舗で商品を選んで商品URL(図示)をコピーする。
item1.jpg
次にマイページ(我的Panli)を開く。
p_main.jpg
先にコピーしておいた商品URLを図の空欄に貼り付け、黄色いボタンを押す。
cart1.jpg
商品情報の読み込みに成功すると商品名や価格が表示されるので、下の青いボタンを押すと表示中の商品がカートに入る。
cart2.jpg
商品を選び終わったら、右下の大きいボタンを押すと購入代行を申請できる。
続けて他の商品を選びたい場合は左下のボタンで入力画面に戻る。
cart3.jpg
初回や残高不足時にはチャージを要求されるので、Paypalまたは国外カードを選択する。
charge.jpg

中国のお買い物代行サービス その壱 出会ってみた

ひょんなことから、Panliなる中国のお買い物代行サービスを発見。
現在のところネット通販の購入代行にのみ対応しているそうだが、何がありがたいのかというと
・米ドル決済(Paypal可)
・選べる配送方法(DHL:2-3日、EMS:5-8日、Air:8-14日)
・複数の店舗から取り寄せた商品をまとめて発送
・オークション入札代行も可
でもって最短1週間ぐらいで中国の品物が手元に届くらしい。
もちろん?送料の他に代行費用(商品代金の10%)がかかる。


中国のネット通販ならどこでも扱ってくれるようだが、Panli曰く「中国では決済時まで送料が分からないことが普通」だそうなので、「(中国)国内送料無料」の店舗から選ぶと煩わしくない。ここだけでも12店舗ある。

カバーアルバム

このところ、一昔前の他人の歌をカバーしたCDアルバムが多い気がする。
ちょうど自分がターゲット層に入っているから気になるだけなのだろうか。
ぼんやりと知っている歌を、それなりに(歌声を)知っている人が歌っているだけのこと。
なのに、いわゆるオリジナルより考え込んでしまうことが多い。
新鮮に響いたり、納得したり、よりまっすぐに歌詞を感じ取ったりと感傷に浸ってしまう。
やはり編曲の妙があるのだろうとは思うが、それより大きな何かを感じる。
一番CDを消費していた世代が手に取りそうな曲と歌手の組み合わせ?という商売??
作る側、売る側が聞いてみたい歌?…だとするとオリジナルの意義は???
普段は新しい曲を耳にしても気にしないことばかりだ。
流しながら翻訳の(日本語を練り込む)仕事を進めることさえ平気でできる。
歌詞の内容や曲の背景は全く意識に乗らないのが常だからだ。
それが、最近のカバー作品ではそうもできない。
気分良く思考停止してしまうか、逆に中身を穿ってみたくなってしまう。素直に聞き流せない。
……何か心理学的な根拠のようなものがあるのだろうか。

余部鉄橋

ダンナが余部鉄橋を見たいと言うので、朝からそちらへ向かうことに。ちょうどぐるりんパスの周遊区間も浜坂まであり、交通費もかからない。
発車時刻さえ押さえておけば片道50分ぐらいだね、などと甘い気持ちで宿を後にした。
単線区間どころか、ディーゼル車の二両編成。自分でボタンを押さないと扉が開かない。
バスでもないのに「ワンマン」で、整理券やら運賃箱やらまであった。
その意味が分かったのはしばらく進んでから。
駅名がアナウンスされ、列車は止まった。が、駅舎も改札もない。
だから路線バスよろしく整理券-現金精算方式が生きていたのか。
そうでない駅も何カ所かあるのが混乱に拍車を掛ける。
乗客のほぼ全員が観光客らしく、香住でどっさり乗って我々と共に餘部で降りた。


餘部駅にも何もなかった。あるのは鉄橋と、踏切と、無性に長い坂道。
先ほどの団体客はツアーガイドに先導されてどやどやと坂道を下りていった。
「この坂を戻るのはご負担なので、帰りはバスが参ります」だと。至れり尽くせりのようだ。
我々はツアー客ではないので、折り返し登ってくる他ない。
十分後ぐらいに来る列車で引き返そうかと言っていたら、何を読み間違えていたのかその便は通過。
次の列車まで一時間ほどある。
そんな長い時間を潰しきれるのかと心配になりながら、ようやく駅の坂道を下りた。
暗紅色の鉄橋は、確かに掛け替えが必要そうな感じがした。
素人ながらにボロボロだということは分かる。
奥に新しい鉄筋コンクリートの橋が架かりつつあった。
橋の真下に行くと、JV担当者からの「おたより」が掲示されていた。
地域住民に向けた時節の挨拶と進捗報告とがこっ丁寧に書かれている。
新しい橋についての概要やら工事の進捗やらはそこで知ることができたが、古い橋については……。
特に観光遺産として残そうとしてはいないらしく、看板がぺろりと一枚。
幹線道路の際に事故犠牲者を供養する菩薩像があるだけで、特に案内もなかった。
しばらく橋そのものと「おたより」を見物したが、時間が余っている。
半ば致し方なく唯一らしき喫茶店に入った。
洒落たジャズを流していながらテレビのワイドショーがかまびすしく、出窓で猫がのほほんと寝ていた。
流石と言うべきか店内にも何枚か往時の鉄橋の写真が飾られており、いい味を出している。
公衆電話の横に貼られたハイヤーの広告が、交通の便を物語っていた。
帰りの坂は思った通りのきつさで、息切れすらした。
丘の上の団地で育って坂道には慣れているはずなのに、脚より胸に来る。
我々の数歩後を上り始めた初老の男性は、十分ほど余分に費やして何とか登り切った。
これがJRの駅とは、JRも大変だ。

城崎温泉

唐突に城崎温泉を訪れてみた。
一度、兵庫県を縦断してみたかったのだ。
マンションの林立地帯を抜けると、山、水田、集落と呼ぶにふさわしい家並み、黒豆の畑。
北上するにつれ面白いほど沿線の人口(住宅)密度が下がっていく。
三田以北で市街地と言えそうな駅前は、篠山口、福知山と豊岡ぐらいのものだった。
それも、豊岡は駅前が市街地化しているというより、郊外型店舗が少し多いぐらいの眺めである。


しばらくの単線区間を経てたどり着いた城崎温泉は、想像よりずっと明るかった。
温泉郷としてきれいに整備されており、寂れた感じの店舗もない。
駅前の通りが曲がっており、見通しは悪く交通上は危険そうだったが、古くからの街である証左か。
旅館案内所で手荷物を預けると、宿まで無料で直送されるとのことで少し驚いた。
まずは魚屋の二階にある食堂で海鮮丼に舌鼓を打つ。
街としては蟹が売りのようだったが、まだ解禁前とあり普通の?魚を頂く。メダイが目新しかった。


城崎温泉・出石ぐるりんパスなる企画乗車券の特典で、レンタサイクルを借りることができた。
目的地は同じく特典で入場できる城崎マリンワールド
同園にはバスでも行けるようだったが、バスを待っている間に自転車でも行けそうだと思ったのだ。
4km弱でさほど時間はかからなかったが、楽な道のりではなかった。
歩道がなく路側帯も狭かったので、半ば自動車に怯えながらの旅。
やっと車通りがなくなったと思ったらとどめは上り坂だったので、半分ほど下車して押して歩いた。
マリンワールドは斬新な仕掛けが多く、想像以上に面白かった。
セイウチ実物大のプレートがあって自分と大きさを比べられたり、水族館なのに釣り堀があったり。
「水族館以上、であること」なる謳い文句は伊達ではないと感じた。
土産物屋の品揃えも珍しく、思わず自分用にバッグとマスコットを購入。
ネコザメ、ゴンズイ、チンアナゴ、リュウグウノツカイ。
普通こんな魚のマスコットにはお目にかかれない気がする。


駅前に戻り、レンタサイクルを返却して延長利用分の精算200円也。
宿に電話を掛け迎えに来てもらう。
平日のせいか我々以外に宿泊客がいないとのことで、内湯が独占できた。
いい気分で部屋食を平らげると、あっという間にワインに酔ってしまった。
二人でハーフボトルのそのまた半分も空けていない。
仲居さんに「もういいんですか」と微妙な顔をされたが、そのまま下げてもらう。
城崎温泉名物の外湯には、9時過ぎてから向かった。
温泉の湯そのものは堪能しきった後なので、「一の湯」一軒のみで、界隈の散策を楽しむ。
射的のできる遊技場が健在で、ポスターでは見ていたが改めて感心した。
中で盛り上がるおっさん諸君を外で面白げに観察する白人カップルを更に遠くで眺める我々。
何故かこの円高の折、4月あたりから海外客が多いのだとか(宿の女将・談)。
街のどこにも外国語の表示がないのに、ツウなものだ。