急用なのに

特定の会社や担当者個人を中傷する意図はないのだが。
「急ぎの案件」と電話してきた人が、1時間経っても連絡をよこさない。
体裁が対訳型になるか上書き型になるか、と聞いただけなのに答えがない。
「担当者に聞いてみます、どちらが手間にならないか」
で、彼女の手間と、相手の手間がかかり、私の時間が奪われていく。
時間いくらの仕事ではないだけに、受注が確定してから時間を潰されるのは痛い。
納期は明後日の朝。しわ寄せは全てこちらに来るのだ。


私が余計なことを質問してしまったのかもしれない。
こちらとて無駄な手間を掛けることに利はないので、善意のつもりだったのだが。
それにしても、翻訳会社が味方してくれなかったら翻訳者は本当に孤独だ。
自分で仕事が取れないばかりに、相手担当者に不満があっても呑み込んで付き合う他ない。
ま、世間一般の下請けなんてそんなものかもしれないが。

カバーアルバム

このところ、一昔前の他人の歌をカバーしたCDアルバムが多い気がする。
ちょうど自分がターゲット層に入っているから気になるだけなのだろうか。
ぼんやりと知っている歌を、それなりに(歌声を)知っている人が歌っているだけのこと。
なのに、いわゆるオリジナルより考え込んでしまうことが多い。
新鮮に響いたり、納得したり、よりまっすぐに歌詞を感じ取ったりと感傷に浸ってしまう。
やはり編曲の妙があるのだろうとは思うが、それより大きな何かを感じる。
一番CDを消費していた世代が手に取りそうな曲と歌手の組み合わせ?という商売??
作る側、売る側が聞いてみたい歌?…だとするとオリジナルの意義は???
普段は新しい曲を耳にしても気にしないことばかりだ。
流しながら翻訳の(日本語を練り込む)仕事を進めることさえ平気でできる。
歌詞の内容や曲の背景は全く意識に乗らないのが常だからだ。
それが、最近のカバー作品ではそうもできない。
気分良く思考停止してしまうか、逆に中身を穿ってみたくなってしまう。素直に聞き流せない。
……何か心理学的な根拠のようなものがあるのだろうか。

余部鉄橋

ダンナが余部鉄橋を見たいと言うので、朝からそちらへ向かうことに。ちょうどぐるりんパスの周遊区間も浜坂まであり、交通費もかからない。
発車時刻さえ押さえておけば片道50分ぐらいだね、などと甘い気持ちで宿を後にした。
単線区間どころか、ディーゼル車の二両編成。自分でボタンを押さないと扉が開かない。
バスでもないのに「ワンマン」で、整理券やら運賃箱やらまであった。
その意味が分かったのはしばらく進んでから。
駅名がアナウンスされ、列車は止まった。が、駅舎も改札もない。
だから路線バスよろしく整理券-現金精算方式が生きていたのか。
そうでない駅も何カ所かあるのが混乱に拍車を掛ける。
乗客のほぼ全員が観光客らしく、香住でどっさり乗って我々と共に餘部で降りた。


餘部駅にも何もなかった。あるのは鉄橋と、踏切と、無性に長い坂道。
先ほどの団体客はツアーガイドに先導されてどやどやと坂道を下りていった。
「この坂を戻るのはご負担なので、帰りはバスが参ります」だと。至れり尽くせりのようだ。
我々はツアー客ではないので、折り返し登ってくる他ない。
十分後ぐらいに来る列車で引き返そうかと言っていたら、何を読み間違えていたのかその便は通過。
次の列車まで一時間ほどある。
そんな長い時間を潰しきれるのかと心配になりながら、ようやく駅の坂道を下りた。
暗紅色の鉄橋は、確かに掛け替えが必要そうな感じがした。
素人ながらにボロボロだということは分かる。
奥に新しい鉄筋コンクリートの橋が架かりつつあった。
橋の真下に行くと、JV担当者からの「おたより」が掲示されていた。
地域住民に向けた時節の挨拶と進捗報告とがこっ丁寧に書かれている。
新しい橋についての概要やら工事の進捗やらはそこで知ることができたが、古い橋については……。
特に観光遺産として残そうとしてはいないらしく、看板がぺろりと一枚。
幹線道路の際に事故犠牲者を供養する菩薩像があるだけで、特に案内もなかった。
しばらく橋そのものと「おたより」を見物したが、時間が余っている。
半ば致し方なく唯一らしき喫茶店に入った。
洒落たジャズを流していながらテレビのワイドショーがかまびすしく、出窓で猫がのほほんと寝ていた。
流石と言うべきか店内にも何枚か往時の鉄橋の写真が飾られており、いい味を出している。
公衆電話の横に貼られたハイヤーの広告が、交通の便を物語っていた。
帰りの坂は思った通りのきつさで、息切れすらした。
丘の上の団地で育って坂道には慣れているはずなのに、脚より胸に来る。
我々の数歩後を上り始めた初老の男性は、十分ほど余分に費やして何とか登り切った。
これがJRの駅とは、JRも大変だ。

城崎温泉

唐突に城崎温泉を訪れてみた。
一度、兵庫県を縦断してみたかったのだ。
マンションの林立地帯を抜けると、山、水田、集落と呼ぶにふさわしい家並み、黒豆の畑。
北上するにつれ面白いほど沿線の人口(住宅)密度が下がっていく。
三田以北で市街地と言えそうな駅前は、篠山口、福知山と豊岡ぐらいのものだった。
それも、豊岡は駅前が市街地化しているというより、郊外型店舗が少し多いぐらいの眺めである。


しばらくの単線区間を経てたどり着いた城崎温泉は、想像よりずっと明るかった。
温泉郷としてきれいに整備されており、寂れた感じの店舗もない。
駅前の通りが曲がっており、見通しは悪く交通上は危険そうだったが、古くからの街である証左か。
旅館案内所で手荷物を預けると、宿まで無料で直送されるとのことで少し驚いた。
まずは魚屋の二階にある食堂で海鮮丼に舌鼓を打つ。
街としては蟹が売りのようだったが、まだ解禁前とあり普通の?魚を頂く。メダイが目新しかった。


城崎温泉・出石ぐるりんパスなる企画乗車券の特典で、レンタサイクルを借りることができた。
目的地は同じく特典で入場できる城崎マリンワールド
同園にはバスでも行けるようだったが、バスを待っている間に自転車でも行けそうだと思ったのだ。
4km弱でさほど時間はかからなかったが、楽な道のりではなかった。
歩道がなく路側帯も狭かったので、半ば自動車に怯えながらの旅。
やっと車通りがなくなったと思ったらとどめは上り坂だったので、半分ほど下車して押して歩いた。
マリンワールドは斬新な仕掛けが多く、想像以上に面白かった。
セイウチ実物大のプレートがあって自分と大きさを比べられたり、水族館なのに釣り堀があったり。
「水族館以上、であること」なる謳い文句は伊達ではないと感じた。
土産物屋の品揃えも珍しく、思わず自分用にバッグとマスコットを購入。
ネコザメ、ゴンズイ、チンアナゴ、リュウグウノツカイ。
普通こんな魚のマスコットにはお目にかかれない気がする。


駅前に戻り、レンタサイクルを返却して延長利用分の精算200円也。
宿に電話を掛け迎えに来てもらう。
平日のせいか我々以外に宿泊客がいないとのことで、内湯が独占できた。
いい気分で部屋食を平らげると、あっという間にワインに酔ってしまった。
二人でハーフボトルのそのまた半分も空けていない。
仲居さんに「もういいんですか」と微妙な顔をされたが、そのまま下げてもらう。
城崎温泉名物の外湯には、9時過ぎてから向かった。
温泉の湯そのものは堪能しきった後なので、「一の湯」一軒のみで、界隈の散策を楽しむ。
射的のできる遊技場が健在で、ポスターでは見ていたが改めて感心した。
中で盛り上がるおっさん諸君を外で面白げに観察する白人カップルを更に遠くで眺める我々。
何故かこの円高の折、4月あたりから海外客が多いのだとか(宿の女将・談)。
街のどこにも外国語の表示がないのに、ツウなものだ。

通じればいいのか

ミクシィの「サンシャイン牧場」なるものに誘われた。
牧場と銘打っておきながら畑しか与えられていないのはともかく、
ここの日本語表示がすばらしく中国語(の直訳とおぼしき表現)で面食らっている。


・肥料を使うとしばらくは重ねて使えないルールなのだが、
 このときの警告に「土地が豊かで、次のステージで施肥しましょう」と出る。
 語学力のある人が日本語に訳したんですねー、という感じがぬぐえない。


どこまで訳したらいいのか(どこまで原文のニュアンスを保つか)は翻訳の仕事で一番の要であるが、
いくらなんでもコレはないんでないの、とつい独りごちてしまう。
「原文が言っていることではなく、原文が言いたいことを訳せ」のお約束に従うと
上の例では「土地が豊かで」という表現がおかしいのではないだろうか。
ここでの目的は「一定期間、重複して施肥することはできない」旨の警告である。
そこから考えると、安直ながら「肥料を与えたばかりです」としたほうが意図は見えやすい。
また、後半「次のステージで施肥しましょう」も文法的には普通の日本語なのだが
このゲームでは「ステージ」の概念についてどこにも言及がないので、唐突な印象を受ける。


現状:「土地が豊かで、次のステージで施肥しましょう」
試案1:「まだ肥料を与えたばかりです」


ここで後半「次のステージで施肥しましょう」を置き換える表現を考えてもよいのだが、
日本人同士のやりとりでは省略されているほうが自然ではないだろうか。
敢えて付けると「次の肥料はしばらく経ってから与えてください」となるが、冗長に過ぎる。
しかもこの例文、小さな吹き出しの中に表示されるものなのだ。
簡潔に表現しないと読み取りにくくなってしまう。
しかし「施肥」という語彙がこれまたゲームの雰囲気になじまない。
いっそ、
試案2:「次の肥料はしばらく経ってから与えてください」
としたほうが分かりやすい気もする。


あちこちがこんな調子で、普通の(こんな商売ではない)利用者がどう思っているのか少し気になる。
もし「分かる(通じている)から別に気にしない」という人が大多数だと、商売あがったりだ。
しかし一応は日本語として分かる表現なだけに、日本語表現を磨くべきかというと何だか悩ましい。

営業時間

自由業である私には「毎日が月曜日」、営業日も営業時間もあったものではない。
たいてい世間様の休日には引き合いがないかな、ぐらいのものである。
#某社は祝日の夜でも普通にメールをくれるが


一方で普通の会社には営業日、営業時間があると思われる。が、後者は実につかみにくい。
「弊社までお電話ください」と言われるたびに当惑してしまう。
いわゆる平日の9時から12時、13時から17時ぐらいが無難だとは思うが実際には……。
「本日中にお送りします」との約束だった原稿が21時を過ぎることもざらにある。
#そういう案件に限って納期が延びない
せめて「今日は空けておいてください」と併記されていなかったらのんびり待てるのだが。


営業時間なるものが一番はっきりしているのは商業施設のはず。
それとても食べ物についてはあてにならないと気づき始めた。
19時まで営業と看板にはあっても、18時には品物が店頭になかったりする。
商店街の店舗に到っては、気がつくとシャッターが下りている。
買い物は午前中に限る、……この辺りの勤め人はどう暮らしているのか気になる。

新しすぎる決済手段

ProZから会員契約の更新通知が来た。
年会費を一括で支払うと10ドルまけてくれるという売り込み付き。
流石といおうか何と言おうか、決済手段が色々ある。
PayPalにも対応しているそうなので、そちらで払うことにした。
PayPalの米ドル残高が半端にあったので、どう使うか悩ましかったのだ。
#外貨のまま引き出すことはできないので、円高のうちは引き出す気になれない。
まさかお金を払う側でここまで苦労するとは……



1.ProZの決済画面でエラー。「トークンがない」と言われても意味が分からない。
2.ProZのサポートに問い合わせる(英語)。返答は「決済手段を変えたら?」……それでは意味がない。
3.PayPalのサポートに問い合わせる(日本語)。返答は「カードのせい?」
4.カード会社に問い合わせる。返答は「うちは承認してますけど」……悪いのは誰?
5.PayPalのサポートに問い合わせると、白旗を振られた。「決済手段を変えたら?」って……
6.決済手段を変え、集金代行業者のようなところをかませる→解決。


カードの承認が下りているのに決済できないとか、個人が集金代行業者を使うとか、新しすぎて分からない。
ともあれ見事PayPalの米ドル残高から決済できたのでよしとするが。何だか納得いかない。

財布と金運の関係?

傷んだ財布を持ち歩いていると金運が低下する、と怪しいチラシに書いてあった。
そのチラシの商品自体には食指が動かなかったのだが、ふと手元の財布を見ると傷んでいる。
機能上は問題がないので放置していたのだが、エナメル皮膜が2割ほど剥がれていた。
そう言えば転居以来の暮らし向きの変化と財布の機能が合っていない。
商店街で買い物をする時に要るのは小銭であってカード類ではない。カード入れより小銭入れだ。


というきっかけで財布を買い換えたのが先月の下旬。以来、嬉しい悲鳴で喉が嗄れるほど忙しい。
気づいてみたら半月以上も禄に休んでいなかった。自営業者は毎日が月曜日。嗚呼。
・本業(大規模)処理中に副業の声がかかる。
・副業と格闘中に本業(小規模短納期)が割り込む。
・副業の納品直後に別件の本業(大規模)。
・本業(小規模短納期)が割り込む。
・目やら肩やらが限界を訴え、半日強制休業。
・旧知(取引実績なし)から副業の声がかかる。
・本業(大規模)の納品直後に別件の本業(大規模)打診。
・少なめに引き受ける返答をした直後(入れ違い)に副業の声がかかる。←いまここ


新しく買ったのは至ってシンプルな長財布、しかも某百貨店のセール品だったのだが。
財布を買い換えただけで金運が上がったのだとすると、実に恐ろしい財布だ。
何を買い換えたら健康運が上がるのかな(笑)

愚民政策?

やや久々にS社長からアンケート集計作業を受注した。
一週間ほど「自由回答」の山と格闘して何故か今回だけ感じたことがある。


人のことバカっていう奴が本当はバカなんだからねー!


小学生の喧嘩かい、といった感じもするが実際そう感じたものは仕方がない。
・常に斜めに構えていて正面から他人の意見や表現を評価しない
・メディアの発信することを真に受けたら負けだと思っている
・自分の意見を貫いてるボクチャンかっこいい (相手の意見は勿論100%無視)
そんな雰囲気のコメントがいつになく多かったので、正直かなり気分が悪くなった。
#でもちゃんと分類はしてますよ社長、仕事ですからっ!


自分にも当てはまるフシがあるからこその不快感なのは気づいている。
ことに会社勤めをしなくなった近年、社会との接点がほとんどなくなって色々なことが他人目線になってきた。
せめて他人を無意味に蔑視しないようにだけは気をつけないと。
蔑視する人/時はその無意味さに気づいていないはずだが


上記の人、結局はメディアに踊らされているのでは。
別にネット=正義でもなければ、ネット=既存メディアの対極でもないのに。
自分=ネット見てる=偉い、になっている気がしてならない。
しかもそれを自慢するはけ口がなくてアンケートに書き込んでいる滑稽さ。
#自慢にはけ口が要る時点で
その声(ボクチャンエラインダゾ)がアンケート実施者に届いたところで、何が嬉しいのだろう?
世の中がよくなったり、ボクチャンのエラサを賛美したりするようになるとは思えないのだが。

特別な朝ご飯?

早い時間にしっかりめの朝食を摂る需要ができてロイヤルホストへ行った。
普通この手のチェーン店はどこでも同じ品書きのはずだが、そこの店は「特別メニュー」だとサイトにあった。
特に変わった立地でもないのに、何が「特別」なのか不思議に思っていたところ。
「いらっしゃいませ。朝食券はお持ちでございますか?」
……朝食券?
当然「いいえ」なのだが。
そう言えば所在地が某ホテルの一階である。
つまりそこの店はホテルの朝食券を受け付けるのが「特別」なのだった。
朝食券がない人用のメニューから選んだのはスープセットで819円也。
値段こそいささか贅沢な感じだが、内容は野菜スープと8枚切りトーストとコーヒー。
#メニューに概要も写真もないので、現物を見て少し拍子抜けがした。
そして「特別」な朝食は、そうでない人より早く運ばれるのだった。
ま、急ぎではなかったからいいのだが。