マイペース

先週あたり何かと他者に振り回されるような日々が続いていた。
振り回されて迷惑だと感じるならば自分が毅然としていればいいこと。
特に迷惑でもないならば振り回されているなどと意識しなければ済むものだが。
なかなかどうしてそうも行かず調子を崩していた。
世間様に言うところの三連休でそこそこ復調したので自分のペースなるものを考えてみる。


一般にマイペースというと「ゆっくり」がついて回る気がするのだが、私は例外なのだろう。
「のびのび」でもない。むしろ「かっちり」だ。
意識してゆっくりと時間を過ごすことはできるようになってきたが、それともまた違う。
ことを進めるにあたってゆっくりしていられない性分と言う方が近い。
短絡的で性急というほどではないつもりだが、何事もさっさと進めるのが好きだ。
事前に見積もった工数以内で片付くと気分がいいのは誰でも同じかもしれないが。
ただ、その工数を見積もる手間はしっかり取っている。
あまり厳密に線を引いてしまうと首が絞まるのは春先に学んだので、余裕分も考慮。
その余裕分の「予算」の中で外出したりもできるようになってきた。
何年もこの仕事をしていて恥ずかしい話だが、なかなかできなかったことである。
仕事以外は何でも後回しにしてばかりいたのだ。
たいていはそれで済む程度の案件ばかりなので「え、仕事してたの?」となっていた。
それが、まとまった規模だったり納期見合いで作業量が指定されたりすると話は変わる。
どこまでを何時までに、と線を引いておいて進捗管理をしないと落ち着かない。
そのペースの計算、配分、実行(、再計算)が私にとってのマイペースだと気づいた。
恐らく、似たような業態の人々にとっては当然すぎて意識することもないものなのだろうが。

下請け稼業と家族商売

珍しい電話をもらった。
「下請け専業の翻訳会社なんですが、一緒にお仕事しませんか?」というもの。
請けそびれた案件の発注元翻訳会社から紹介されたのだという。
普通は登録翻訳者募集の場合、応募者がメールで履歴書等を送付する運びになっている。
ところがこの会社、社長が電話してきて副社長に代わってハイ完了だったのだ。


驚いたのはそれだけではない。
・人間関係にこだわる
 社長の自己紹介からして「?」だった。
 「細く長く付き合う気しかないんです」と言われても当惑するばかりだ。
・基本報酬が他社の半額
 実は下請け専業の他社にも登録しているのだが、そこより更に安かった。
 最近の受注事情で値下げせざるを得なかったからと云って、支払額4割引とは。
・関係者がみんな同姓
 こういうのを家族経営と言うのだろうか。
 我が家では互いの仕事に全く手を出さないので好対照かもしれない。


まずは実際の仕事を請けてみないと取引先としてどうなのかは判断しかねる。
従来の取引先にも人間関係にもなかった種別の人々なことは確かだが。
それを理由に取引を始めないというのも勿体ない気がして条件を提示してみた。
正直、気は重い。
厭な予感が的中しないことを祈る。

縁日屋台のプチたい焼

番外編。近所の夏祭りに出ていた屋台。味は選べて9個300円也。
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上には抹茶云々とあるが、実際はポークビッツだったりと不一致あり。
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これは流石に鯛焼きとは認められない。
全くののっぺらぼうで、鱗はおろか目もないのだ。
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粒あんは意外とあんこの味がした。
いかんせん、生地がやはり鯛焼きでない。ベビーカステラそのもの。

ぶれない人

鳥仲間と会ってきた。
先週の話をしかけたところ、「ブログに書いてたあれですか?」
何とまあ彼女も読者だった。
どうしたことか、このブログの読者は感想をコメントではなく対面でくれることが多い。
先月も話した相手なので他の近況報告もあるまいと思っていたのだが。
「この一年でだいぶ変わりましたよね」と意外な一言。
色々な物事の捉え方が変わったのはお互い認めるところではある。
「そんな(苦手そうな)相手と接触して、…って心配されるんですが、大丈夫なんですよ」
無理に友達を作ろうとも思わないし、特定の相手を敢えて引き留めることもなくなったという。
特にそうしたい相手ならともかく、そこまで自分が思わないなら、と割り切れると。
「ぶれない人って憧れます」と言う彼女、ぶれていないと思う。
ミクシィやらついったーやらで去っていった人達の話もいくつか聞いた。
片思い状態で親交は成立しないから諦めはするものの、最後にありがとうを言いたかったと。
何としなやかな強さか、と思った。
世の中にはくどく感じる向きもあろうが、私は彼女を支持する。
見習わねばとも思う。
どういう事情で去っていく人とも、交流があったことは事実だから。
親しかった時にかけてくれた言葉には、嘘がなかったと信じられるから。
その時があって今の自分がいるから。
信実というやつか。

言葉ないし自分はどこまで素直か

苦手意識は持っていなかったのだが、センター試験で最低点を叩き出したのは国語だった。
よくそれで合格したものだと大学の同期にはさんざん笑われたものだ。
自己採点では古文と漢文が満点、現代文が恐ろしく悪かったのを覚えている。
つまりは文の「意図」が読めていなかったということだろう。
それが今や日本語を売る商売で食べていられるのだから不思議なものだ。


人の話を鵜呑みにしやすく、何でも字面どおり額面どおり受け取ってしまう帰来がある。
それと裏表で、言われていないことの察しが悪い。
だから「気が利かない」し、人にも好かれない。
…というようなことを刷り込まれてきたような気がする。
断っておくが、誰が悪いのではない。
「お察しください」文化になじめない性分なのだ。
ほぼ何でもかんでも自分の言葉で整理しないと気が済まない。
今でも時々「(そんなことを)分析してどうするの」と言われる。
確かに実用的な分析ではないのだろうし、いちいち失礼なのかもしれない。
恐らく愚痴をこぼすようなもので、線を引ければ少し落ち着くだけのことなのだ。


何でもかんでもとりあえず否定してかかり、悲観的な言葉を投げつける人がいる。
そうした言葉を浴びながら、いちいち真に受けてきた結果なのだ。
真に受けたのは自分の情動であるし、某かの判断が働くべきところだから自分の責任。
しかし未だにその責任が自分に対して負いきれずにいる。
どうしてやったら自分は素直になれるものだろうか。

たい焼 たこ焼 「ゝ神-TENJIN-」

店名のとおり、たこ焼きも扱っている。小倉130円也。
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いわゆる天然ものだが、保温ケースに入っていた。
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太った鯛のように丸いのだが写真で伝わるだろうか。
生地は薄皮タイプだが、保温時間が長かったのか内面はしんなり。
香ばしい風味は充分に残っていた。
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あんは甘く、ほくほく、ぎっしり。喉が渇いた。
ぎっしり詰まっているという表現がこれほどしっくりくる一匹もない。

ちか八

煎餅など他の和菓子も扱っている業態。小倉あん130円也。
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恵比寿様焼きなるもののほうが有名らしいが、敢えて鯛焼きしか買わない。
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ふっくら分厚く庶民的な感じ。
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ふかふか好みの人にはたまらないだろうとは思いつつ、自分は薄皮派であることに気づく。
あんは正直あまり存在が感じられない。

いろいろはんぶんこ

昼前から大切な人に会ってきた。
親友と称しても失礼ではなかろうが、彼女に言わせると「兄弟」(姉妹ではない)。
予定が詰まっていて多忙だと言いながら、手みやげまで用意してくれていた。
席に着いてから料理が出てくるまで時間があったので、冒頭から物々交換の勢いに。
彼女が赤い鯛焼き、私が白い鯛焼きをとったので、半分こしてしっぽ部分を交換。
示し合わせたかのように作業が順調で、互いに噴き出してしまった。


対面こそ半年ぶりだが、日頃から会話があるので近況報告は特になし。
その行間にあったような、文字にはならないようなところが主な話題だった。
文字にできるほどまとまっていなかったこと、敢えて指摘するまでもないようなこと。
聞いているこちらがこわばるような深刻な事態でも笑いながら流してしまう。
笑いながら流すことに意味があるのは分かっているので、ところどころ一緒に笑った。
とは言え、いちいち文脈を考えて調子を合わせていたわけではない。
お互いに間合いが読めるので、特に意識せずともそうなるのだ。
世代も生活環境もまるで違うのに、何とも不思議なほど、馬が合う。
初めて耳にする話題でも、相づちは「やっぱりね」になってしまってばかりだった。
その状況でこの人だったらこうするだろう、というのがまず想定から外れないのだ。
「そういう性分だからねぇ」と笑いあうことしきり。
悲しい話もいくつか聞いたが、意外と涙は流れなかった。
そうでしたか、そうですね、と頷くことしかできなかったが、それで充分だとも分かっていた。
つまりはそういう間柄なのだ。
彼女に言わせると、私は自己評価が低すぎる。また笑いながら叱られた。
そこだけは意見が合わずとも譲れないそうだ。
買いかぶってくれても何も出ないよ、と私は本気で思っているのだが。
他の人には下にも置かない扱いをされると窮屈で仕方ないのに、ここでは苦笑止まり。
彼女の説得力が秀逸なのか、私が勢いに呑まれているのか。
いずれにせよ楽しいのでよしとする。
「ご近所だったらもっとおしゃべりできるのにね」
「仕事になりませんって」
「そりゃそうだわ、ならないならない」
だいたいそんなことを言い始めると席を立つ時間。
励まそうと思っていたのが、逆に元気をもらいすぎてしまったかもしれない。

分かる痛み

横浜中華街で旧友と会ってきた。
同郷と称するには些か遠い、彼女の実家は避難区域内。
その辺りの状況を聞くとはなしに聞き、語るでもなく話してもらった。

友人本人は関東にいて無事だったが、彼女のお母さんの話。
3月11日は何も知らされず、翌朝6時に突然バスで「説明会」に連れて行かれた。
まだ辺りが暗いうちだったので、地震やら津波やらの爪痕も目にせず知らぬまま。
急な移動指示だったので着替えも持たず、戸締まりも確かめず行ったらそこで4泊。
避難先も決して環境が整っているわけではなく、情報源は音質の悪いラジオのみだった。
漸く状況が見えてきた時点で、ぼちぼち各人が身内を頼って離散。
車を出せる人に便乗させてもらい、お母さんはそこを離れたそうだ。
それ以来、その家には帰れていないという。
当然、預金通帳も印鑑も家にあるままだ。

なりゆき、着の身着のままやってきた親を友人が迎え入れることに。
手持ちの服を譲ったり、新しく買い足したり、世話を焼くのも大変だったようだ。
何しろお母さんの精神状態が人災のせいでパニックになっている。
パソコンやら携帯やらで目を離すと不安で騒いでしまうらしく、
文字通り目を離せない日々が2ヶ月ほど続いたという。
「やっと一人で留守番させられるようになったけど」と彼女は紫煙を吐いた。
地銀のキャッシュカードは7-11でも使えるのだが、「教えても理解できない世代」。
同郷の人々が新宿の支店に押しかけるため、混雑で本人確認すらままならない。
本店に問い合わせる事情もあって処理が何日もかかっていたそうだ。

一人でいると不安で仕方ないのに、身内にも会いたがらないという。
賠償金の類が「もらえるんでしょ」「もらえるんだってねぇ」の一言に傷ついてとのこと。
実情としては手続き関係も周知されていないし、連絡が来ても煩雑なのだそうだ。
生活支援物資を受け取るためにFAXを送信せよと言われても避難民の誰ができるのよ、と。
事故から3ヶ月も経った今頃、茶碗1個タオル1枚を配られてどうせよと。
しかし一部のみ受領したり辞退したりすることはできないそうだ。
「役場だって大変なのは分かるからねぇ」責められないよ、と苦笑いする。
一方で、そうした支援物資に嫉妬する人もいるのは事実で、それも分かるから責められないと。
派遣の工場労働者なんぞ失業しても手当なしだから「それはそれで分かる」。
上記の「もらえるんでしょ」も悪意は全くないので「それはそれで分かる」。
しかし、悪意がなくとも言われる方は傷つくのだ。
取りに戻れないお気に入りの服、「新しくなっていいじゃないの」と心から思えるか?と。
内外の事情を知っている人も汲める人も少ないからね、と次のタバコに火を付ける。
「大事なモノがあるってのも、こうなっちゃうとよしあしっていうか分からないよね」
多くの人がそれぞれの立場でそれなりに悩み、苦しんでいる。
なまじどの立場も分かってしまうと、いたたまれない気分になるのも無理からぬ話。
実は私自身、彼女にかけるべき言葉が見つからなくて今まで不義理していた。
この文脈だと余計に卑怯で申し訳ないが、と言うと「そんなもん、それでいいんだよ」と。
そんなものかもしれない。

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島根中村屋 元祖ちっちゃい鯛焼

にほんばし島根館の軒先で営業。いろいろ12個400円也。
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種類はランダムに混ぜられている。粒あん、カスタード、チョコ。
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名前のとおり小さいため、主体は生地のふわふわ感。
店頭の能書きによると、こだわりの卵と牛乳を島根から取り寄せているらしい。
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…これは鯛焼きと言うより人形焼きか。