横浜中華街で旧友と会ってきた。
同郷と称するには些か遠い、彼女の実家は避難区域内。
その辺りの状況を聞くとはなしに聞き、語るでもなく話してもらった。
友人本人は関東にいて無事だったが、彼女のお母さんの話。
3月11日は何も知らされず、翌朝6時に突然バスで「説明会」に連れて行かれた。
まだ辺りが暗いうちだったので、地震やら津波やらの爪痕も目にせず知らぬまま。
急な移動指示だったので着替えも持たず、戸締まりも確かめず行ったらそこで4泊。
避難先も決して環境が整っているわけではなく、情報源は音質の悪いラジオのみだった。
漸く状況が見えてきた時点で、ぼちぼち各人が身内を頼って離散。
車を出せる人に便乗させてもらい、お母さんはそこを離れたそうだ。
それ以来、その家には帰れていないという。
当然、預金通帳も印鑑も家にあるままだ。
なりゆき、着の身着のままやってきた親を友人が迎え入れることに。
手持ちの服を譲ったり、新しく買い足したり、世話を焼くのも大変だったようだ。
何しろお母さんの精神状態が人災のせいでパニックになっている。
パソコンやら携帯やらで目を離すと不安で騒いでしまうらしく、
文字通り目を離せない日々が2ヶ月ほど続いたという。
「やっと一人で留守番させられるようになったけど」と彼女は紫煙を吐いた。
地銀のキャッシュカードは7-11でも使えるのだが、「教えても理解できない世代」。
同郷の人々が新宿の支店に押しかけるため、混雑で本人確認すらままならない。
本店に問い合わせる事情もあって処理が何日もかかっていたそうだ。
一人でいると不安で仕方ないのに、身内にも会いたがらないという。
賠償金の類が「もらえるんでしょ」「もらえるんだってねぇ」の一言に傷ついてとのこと。
実情としては手続き関係も周知されていないし、連絡が来ても煩雑なのだそうだ。
生活支援物資を受け取るためにFAXを送信せよと言われても避難民の誰ができるのよ、と。
事故から3ヶ月も経った今頃、茶碗1個タオル1枚を配られてどうせよと。
しかし一部のみ受領したり辞退したりすることはできないそうだ。
「役場だって大変なのは分かるからねぇ」責められないよ、と苦笑いする。
一方で、そうした支援物資に嫉妬する人もいるのは事実で、それも分かるから責められないと。
派遣の工場労働者なんぞ失業しても手当なしだから「それはそれで分かる」。
上記の「もらえるんでしょ」も悪意は全くないので「それはそれで分かる」。
しかし、悪意がなくとも言われる方は傷つくのだ。
取りに戻れないお気に入りの服、「新しくなっていいじゃないの」と心から思えるか?と。
内外の事情を知っている人も汲める人も少ないからね、と次のタバコに火を付ける。
「大事なモノがあるってのも、こうなっちゃうとよしあしっていうか分からないよね」
多くの人がそれぞれの立場でそれなりに悩み、苦しんでいる。
なまじどの立場も分かってしまうと、いたたまれない気分になるのも無理からぬ話。
実は私自身、彼女にかけるべき言葉が見つからなくて今まで不義理していた。
この文脈だと余計に卑怯で申し訳ないが、と言うと「そんなもん、それでいいんだよ」と。
そんなものかもしれない。
島根中村屋 元祖ちっちゃい鯛焼
にほんばし島根館の軒先で営業。いろいろ12個400円也。
種類はランダムに混ぜられている。粒あん、カスタード、チョコ。
名前のとおり小さいため、主体は生地のふわふわ感。
店頭の能書きによると、こだわりの卵と牛乳を島根から取り寄せているらしい。
…これは鯛焼きと言うより人形焼きか。
翻訳学習セミナー
中日翻訳のセミナーがあると紹介を受け、得がたい機会なので参加してみた。
とある通信講座のスクーリングという位置づけながら、何故か部外者も聴講可能。
半年の講座を振り返り、ありがちな誤訳を原因から解説という話だったようだ。
原文の理解力
単語の意味/文法構造/文章の趣旨/背景事情
・同じ表現でも文章の趣旨/背景事情によって意味(=訳語)は変わる。
【前提と先入観の誤解に注意】
・文法成分「把」はすぐ目的語を取る構造であることに注意
・「政府官員」は官僚≠公務員。辞書を引くこと。
・外国から来た人≠外国人。中国の国情(背景)による。
・背景に見える表現を訳語として差し込む手法もあり。
→文脈における意味、文章全体の主張に照らしてどう訳すべきか?
訳文の表現力→日本語としていい(→自然な、通りのいい)表現
・原文の漢字を全て訳文に盛り込むと堅い/くどい→言い換え表現は?文全体の意味は?
(ここでも文の成立背景を考慮する)
・漢字に囚われないで日本語を考える
・「彼ら」に女性が含まれる場合もある(文脈による)
・日本語としての語順を優先する(原文を引きずらない)
数量表現が文頭に来るのは中国語の性質によるもの
→いい訳語は日本語の辞書で引いてみた時しっくりくる
・未経~の訳に「いまだ」は不要
語彙と語感
・新しい単語を見かけた時すぐ連想検索する
・80後は80年代生まれ(90後、もあり)
・「警察」=警察官(人を指す、組織ではない)
・外国/外国語由来の言葉は原語で検索してみる
・固有名詞の扱いに注意。日本の団体には「日本」と添え書きされている場合あり
・『ビジネスマンの英語』村松増美・小松達也
「記憶力が衰えるのに反比例して判断力は増す」→ゆえに単語ではなくフレーズを覚える
語感の違い
・医者に相談する/医師に相談する
・「いそしむ」には自分を高める意味合いがある(c)金田一春彦
・日本語の見出しは体言止めが多い
・中国語の代名詞、副詞、接続詞、方位詞は誤解を招かない限り削る
「あなた」は訳出しない(→日本語では発しない)ほうが無難
中国人の日本語学習(受講生の体験談)
・体育会系、体で覚える感覚の取り組み→日本人は頭で考える
・使える会話を重視、言葉を口から出す感覚をたたき込む
・教科書を暗唱-暗唱の時間がある-できるまで残らせる
・中1で文字と発音、高2まで文型と会話、高3で天声人語→卒業時に日検1級
・中国人は言語習得に壁がない←多彩な方言が混在する環境
・自動詞と他動詞の扱いを教えるのが困難だった
「誤解が解く(←解ける)」「交流を進みたい(←進めたい)」
・自然な日本語には子音しかない音節もある。「とりあつかい」の「つ」、「かたな」の「か」など。
食卓いっぱいの「あるある」
中日翻訳のセミナーがあるよ、と声をかけてくれた人は静岡在住の同業者。
お互い折角はるばるやって来るのだから、お昼でもご一緒しようかということに。
上等な鰻重をつついたはいいが、週末だからか店が混雑してきたので早々に場所を移した。
セミナー会場の場所を確かめて、その近くのカフェで話し込むこと小一時間。
日常生活をどうしているのか、仕事はどんなものが多いのか、話題は尽きない。
何でも屋で専門性が薄かったり、中華企業に値切られたり、やはり似たような体験をしていた。
具体的な数値はあまりに哀れなので日記に綴るのも憚られるが、相場の話も。
その後のセミナー内容とも合わせ、おおよそ自分の路線で間違っていないと確認できた。
セミナー後に会ってくれたのは、英日/日英のこれまた「何でも屋」さん。
何でも屋の悩みは取扱い言語に関係ないので、あまり「私の場合は」という話にならなかった。
手みやげは悪戯半分で西日本版のカップ麺。大笑いして喜んでくれた。
「この前はありがとう、お礼にこっちのお菓子を」とこじゃれた焼き菓子を頂き、恥ずかしくなる。
野菜を主役に据えた食べ放題の店だったのだが、制限時間になっても追い出されなかった。
追い出されたらお茶しに行こうかとも話していたものの、結果として不要に。
共通の仲間を含めた近況がやはり話題の中心だった。
前に遊んだのがすごく昔みたいだね、という感覚も共有。
実際は去年の9月と12月なので、それほど時間は経っていないのだが。
性質上どうしても孤独な仕事だけに、こうして仲間がいるのはやはりありがたい。
それこそ言語も違うので、直接の利害が生じることはないのだが。
「私ってばこんな性格だから」で共通点が見つかったのは正直かなり意外だった。
共通点があるからこそ、話していて楽しいし、いくらでも盛り上がるのだろうが。
敬愛する先輩の一人なので、嬉しいような気恥ずかしいような。
外が涼しいので一つ先の駅まで歩き、今度は関西に来てくださいよと笑いあって解散。
きっとまた、どちらがどちらを訪ねても、たっぷり楽しめるだろうと思う。
銀座たい焼 櫻家
八重洲のキラピカ通り店。薄皮あんこ170円也。
ここは厚皮なるものが名物のようだが、栗入りなので今回は回避した。
大きさの違う複数の焼き型が並ぶ。
焼き上がり、ハネ部分をはさみで切り落としてから提供しているようだ。
薄皮とことさらに強調する薄さではない。むしろ噛むとあんこにめり込む。
あんこは甘みあっさり、食感さらさら。
たい焼き鉄次
東京駅にある大丸の地下一階。160円也。
ほぼ全自動で製造されており、まさに養殖品。
輪郭が鯛の形をしていない。レリーフとでも言うのだろうか。
生地が薄いせいかあんこの熱さが強調されて感じた。
甘さあっさり、食感ほくほくで、やや粒が少ない。
贅沢ごっこ
国内線プレミアムクラスとやらに乗ってみた。
株主優待券を使ったので、支払金額は普通運賃より安いぐらいなのだが。
結論、拒絶するほどではないが二度と乗らないであろう。
数千円を付加するほどの価値は感じられなかった。
・座席
最大の価値はここにある。椅子の幅が広く、座った両側に拳一つ分を超える余裕があった。
いかんせん、大阪-東京便のような短距離では存分に味わうほどの時間はない。
レッグレストなるものもあるのだが、やはり使える時間が短い。
おまけのスリッパ(靴べら付き)はふかふかして好感が持てる。
・優先搭乗
早朝の空いている便だったのでありがたみが感じられなかった。
むしろ先に座っていると、プレミアム席でない人々が膝を跨いでいく。
窓側の席を取ればよかったのだろうが。
降りる時も優先して通してくれるはずなのだが、はずなだけだった。
プレミアム席には3人しかいなかったのに、戸口には10人以上が詰めかけていたのだ。
・食事
なんのことはない和風弁当だった。
普通席でも1800円で食べられるそうだが、これに額面分の価値は認めがたい。
好きな飲み物を選ばせてくれるようだが、メニュー冊子はなかった。
食後にも飲み物を勧めてもらえたが、短時間でそう何杯もぐびぐびとは…。
・その他
羽田や伊丹を出る便なら専用ラウンジの利用権もあるらしい。
あいにく神戸発だったので普通のカード会員用ラウンジを利用した。
別にこっちでいいやと思ってしまったのは負け惜しみかもしれないが。
慣れないことをするものではない、といったところだろうか。
思ったほど贅沢感を味わえず、肩身の狭さもなかった。
高いサービスを購入しても、中身の安さはそうそう拭えないのかもしれない。
次の便からは、おとなしく普通席に戻ることにする。
復元作業
ふと胡弓が弾きたくなったので取り出すと、高音弦が切れていた。
替えの弦は買ってあるので張り替えるか、と気楽に構えていたのがそもそもの間違い。
自分の不器用さと迂闊さをすっかり忘れていた。
夢と仕事と当たり前の毎日
商店街を歩いていたら、死んだ魚のような目をした女の子とぶつかりそうになった。
こちらの前方不注意ではなく、その子がふらふらと寄ってきたのだ。
目を合わせるでもなくそらすでもなく、彼女は小さなチラシを渡そうとした。
美容室某ですと言っていたようだが聞き取れず。
一つの商店街で三度ほど同じ目に遭った。
固まって存在している訳ではないが、美容室がたくさんある通りなのだ。
競争ってそういうことか、と少し遠く思った。
振り返ってみれば、あのチラシ配りはきっとみんな美容師だ。
小ぎれいな身なりに瀟洒な髪型で、しかし生気なく街角に立っていた。
暑い中たいした人通りもないので、気力が萎えるのも無理はない。
ただ、彼らに会ったからといってその店に入ろうと思えるか?
むしろ印象を落としているのではと他人事ながら気になった。
手に職があっても、腕に自信があっても、お客が来なければ始まらない。
それはサービス業であればほぼ共通だろう。
ではどうやってお客(→仕事)を呼び込んだものかというと。
まずは見込み客に存在を認知してもらうこと、だから彼らは街頭に立つのだろう。
呼び込みの仕事は不本意だと顔に書いたままでも。
私は街頭で呼び込みをしても仕方がないので、就職活動まがいのことをする。
フリーランス翻訳者の求人があれば応募して、履歴書と職務経歴書を送るまでだ。
すぐに話が進む場合もあれば、立ち消えてしまうこともある。
忘れた頃にお声が掛かることも珍しくはない。
いきなり仕事をくれる会社、テストを送ってくる会社、白紙で見積もりを要求する会社。
その相手をする時、ちゃんと生きている顔をしていたい。
伝えるべきことを伝えて、立てるべきところは立てて、自分はこうなのだと示したい。
まがりなりにも一つの夢が叶って、この仕事をしているのだ。
どれほど夢を見ようと追いかけようと、自分が生きるのは現実にすぎない。
だからこそ、真面目にやる意義があるし、それなりの手応えもある。
初心を忘れるなとは言うが、そういうことか。
BGMないし類似した何か
以前は翻訳作業中にBGMをかける習慣がなかった。
趣味で邦楽ロックしか聴かないもので、歌詞が邪魔かと思いこんでいたためである。
ところが、むしろ歌いながらでも平気という同業者の話を聞き、試してみた。
流石に自分で歌ってしまうと神経がそっちに行ってしまい仕事が進まない。
聞いているだけなら大丈夫かというと、どうも曲によって違うようだ。
一曲ごとにというほど細かい単位ではなく、恐らく作曲者か編曲者の単位。
だいたいどれが安全か把握できてきたので、再生リストにしてみた。
何故BGMをかけることにしたのかというと、騒音のマスキング目的である。
仕事部屋が共用廊下に面しているので、網戸にするとご近所の声が気になるのだ。
無論こちらから音を漏らすわけにもいかないので、ヘッドホンを使っている。
電話が鳴れば気づく程度の音量にはしているが、たまにインターホンは聞き逃してしまう。
ずっと在宅しているのに不在連絡票が入っていると非常にばつが悪い。
一方、仕事中に電話が鳴るとやはり集中が途切れてしまうが、メールは意外と平気だ。
更に意外なのは、ついったーの読み書きをしていてもほぼ不都合がないこと。
仕事の進め方からして細かい中断には耐えやすいせいもあるのかとは思う。
例外は、一見して不快になる発言が目に入った場合。
流石にわざわざ厭なものを見たくはないので、そういう場合は画面を閉じる。