入館証

勤務先の入館証には顔写真が入っているが、普段は意味を成していない。
ビルの守衛が顔と入館証を見比べることなどないからだ。
フロアに入るのは電子開錠なので、やはり写真はどうでもいい。
それが今日は役に立ってしまった。
徒歩15分ほど離れた本社ビルへ資料を届ける用事ができたのだ。
本社ビルでは受付と守衛の皆さんに顔と入館証を見られる。
入館証をもっていないと、その場で手続きが必要になるらしい。
それはいいのだが。
「おかえりなさい」事務的、いや機械的に迎える声。
訓練したのかというほど揃っている。
社の従業員とはいえよそのビルから来た私には「ただいま」はおかしい。
とりあえず「おつかれさまです」とだけ返事をしておく。

中身がない外身

ある支社の人からメールをもらった。
タイトル「月次レポートです」
本文「お疲れさまです
よろしくお願い致します」
添付ファイル”yome様.lzh”
大丈夫かこれは。
スパムだったり毒だったりしないか。
そもそも中身は何なのだ。
恐る恐る?解凍してみると、ちゃんと2種類のレポートが入っていた。
抗ウイルスソフトも黙っている。ほっ。
えぇと。何か間違ってないか。
自分の名前に様のついたフォルダが手元に。
せめて”5月月次.lzh”だったらよかったのに。
本社にいながら支社より立場の弱い部署なので
(そうじゃなくても)
文句は言えないのだけれど。

見た目

今年は花粉症の人が青山の街中でも変なマスクをしていた。
無理しても外したほうがいいんじゃないの、なんて話をしつつ昼食から戻った矢先。
泊りがけの研修に行っていた上司と目が合った。
いつもはスーツなのに、半そでの開襟シャツに綿パン。
「あ、カジュアルだ」と指を差しそうになると、いつものおはようと同じ笑顔が心なし照れているように見えた。
ええと。
口には出さなかったけど、パパだ。
とってもパパな空気が彼の周りにはあったぞ。
事実に照らしても間違いではないが、やっぱり違和感。

開店休業

勤務先では今日も出社日ということになっている。
世間様から見ても暦どおりならば平日。
しかし、と言おうか、案の定、と言うべきか、やはり職場は閑散としている。
前回(土曜日)より多く来ているのは営業部門。
私の近所は……隣の島に1人。
先週分の議事録をつけて発送。
業務交通費の精算申請。
月例処理データの確認と受け渡し。
仕事が終わってしまったが、時計を見るとまだ10時。
……残るべきか帰るべきか実に迷う。

居場所

正午を回ったあたりに電話が鳴る。
昼休み時間にかけてくるなんて急用?
取ってみると、よそに転職したての人だった。
「あと10分ぐらいでそっち着くんだけど、
お昼いっしょに行かない?」
そうか、お昼を食べるんならこの時間だ。
「一人で、ってなんか淋しくってさ」
気持ちは解る。
私も一人で飲食店に入れないクチだ。
電話の主が私の席に現れた。
向かいの人と3人で食べに行くことに。
「やっぱ淋しくなるもんですよね、会社に来てないと」
「淋しくなるから来てるようなもんですよ、俺」
えぇと、複数の人間の見解が一致している模様。
会社は淋しくなったら来る所。
普通の会社員が聞いたらどんな顔するだろうか。
でも、気持ちは解る。
なまじ独立性の高い仕事ばかりしていると、
出勤していなくても業務遂行はできてしまったりする。
でも、いつものようにいつもの顔を見ると落ち着く。
しかも周りがいつもばたばたと多忙だったりすると
何となくその場から運動エネルギーのおこぼれが
もらえてしまうような気になるのも確かだ。

恐ろしく冷静な人々

しゅぼっ!
お昼ごろ、職場の片隅で火柱があがった。
……翻訳企画の三面記事ではない。
東京の某いんてりぢぇんと・びるの今日の出来事である。
正午を回るか否かぐらいのけだるい時間、ふと音のする方向を見ると真っ赤な火柱が。
否、真っ赤というと嘘かも。炎色反応でいうナトリウムの炎があがった。
1秒間ぐらい続いていたように思う。
幸い、何も燃えなかったらしい。ひたすら電線の焼けた臭いだけがしていた。
現場はセキュリティ・ルームと隣の部署の間。
冷蔵庫に電子レンジが載っている。
どちらも明らかに前世紀の遺物、相当な年代ものだ。
いつどちらが火を噴いてもおかしくない風格ではあった。
そのせいなのか、周りがおとなしい。
火元がレンジか冷蔵庫かと噂しあう声は聞こえたが、
会議室に固まるおえらいへの報告は誰もしない。
人事島の人がビル管理室へ連絡をとっただけ。
まるで騒然としないのが傍目に滑稽だった。
見る間に、というよりはゆっくりと、煙が充満。
じわじわと視界が白くなってきたので外食がてら隣の島の女性陣と屋外避難することに。
入った飲食店での会話。
私「火を噴いたのは冷蔵庫でした。足元あたりの柱がすすけてましたから」
隣の人「あれも30年ものぐらいだもんねぇ」
はす向かいの人「パソコンは買い換えるのに……」
隣「でも延焼しなくてよかったよねぇ」
私「してたら洒落になりませんよ、非常口に出られない人どれだけいるか」
はす「えらい人みんな会議中で気づいてませんでしたよね。取り残されちゃうのかも」
隣「みんな気づいてなかったよねぇ」
一同「避難訓練ってやっぱ必要?」
そう、この件で気づいたのだが。
現場は出入り口にほど近く、辺りの人の避難経路にある。
本当にそこで火事になってしまったらかなりの問題だ。
それでも多分、大々的な広報はないと思われる。
冷蔵庫の買い替えが入ればいいほうか。
私の勤務先ときたら、決してけちではないだがだいたいそういうところがアレなのだ。

コンプラ試験

勤務先で今年からコンプライアンス認定制度なるものが開始。
早速その教材と試験要綱が配られた。
試験はパソコンで30分から40分、正答率9割が必須とのこと。
私は正社員ではないが従業員には該当するため、正社員と同等の試験を受けることになっているらしい。
派遣社員には少し軽めの試験が課されるとか。
そもそもコンプライアンスって何なのか。
教材では冒頭から5頁を割いてあれこれ説明している。
法令の遵守だとか、企業の社会的責任だとか。
言ってみれば「よいこ道」ではないか。
私は偽悪の気があるものの、一応よいこ(のつもり)だ。
昔の勤務先で似たような講習を受けた経験はあるが、普通よいこがとるであろう行動を答えればまず問題ない。
ないはずだったが。
一回目の成績は30問中25問の正解で不合格。あれ。惜しいんだか惜しくないんだか。
即座に再受験して合格したものの、やはり自分の業務外について「こんなときどうする」と聞かれても、ねぇ。
むしろ身についてないぞ。
それでも教材は通読した。
面白かったのは、社内報は社外秘ではない、の記述。
……社外報?

出勤日……多分

勤務先では今日と29(金)が出勤日となっていた。
が。人がいない。
いつもなら900人ほどいるフロアに、20人ぐらい。5人いる私の周りが賑やかに感じるほどだ。
しかも会話はなく、ひたすらキーを叩く音ばかり。
遠くで電話がけたたましく鳴っている。
部署まるごと無人なので鳴りっ放し。
仕方がないのでとってやろうと腰を上げたが到着前に鳴り止んでしまった。
もしや有給を吐き出させるために出勤日設定?
聞こうにも人事担当のシマさえ無人なのだった。

面接

勤務先で年度初めの目標設定面接があった。
上司からお題目の提示を受け、相談する機会である。
目標を設定する前提として、現状認識を聞かれた。
図らずも長々と愚痴を言ってしまい、悪いことをしたと思う。
それでも苦笑しながら遮らずに聞いてくれて、素敵な上司だ。
何を訴えたかったのかというと、私の存在感のなさである。
今日現在の主務はあるシステムのお守りなのだが、問題発生時の対応以外に私が役に立っているのか疑問だった。
周りは多忙な人ばかりなのに普段すこぶる暇で、精神的な居場所が職場にない。
上司から評価されたのも、やはり問題対応の早さだった。それはそれで付加価値だっただろうとのこと。
本来ならその対応能力は問題対応より前向きに使いたいね、と慰めに近いお言葉をいただいた。←わざと敬語
最後に、話し合った内容を所定の帳票に書くよう指示が出た。
私「じゃ今メモしていただいたとおり入力しますね」
上司「ぃゃその、きれいに文で書いてよ」
上司「……そういや文章うまいよね、本たくさん読んでるでしょ」
私「???」
上司「メールとか見てても、まとめ方がきれいで分かりやすいよ」
私「これでも前職マニュアル編集でしたから」
助かってるとか感謝してるとか言われてもぴんと来ないながら、日本語をほめられるのは、かなり誇らしい。
それが会社にとって価値あるものかはよく分からないが。まぁそういう難しいことは上司がなんとかしてくれると思う。

小冊子を持つ女

勤務先のとある社員さんに頼まれ、昼休みに近くの駅まで名刺を届けた。
待ち合わせ時間ぎりぎりまで不覚にものんびり食事していたため暢気な街中をばたばた走った。
幸い特に待たせたわけでもないようだった。
名刺を箱ごと渡すと、引き換えに小冊子の束。
午前中の訪問先に持って行った残りらしい。
「持って来すぎた」というので、一掴み預かって会社へ運ぶことに。
駅で目立つ冊子を受け取って歩き出したせいか、すれ違う人々が「いりません」という顔をする。
や、別に配りませんから。
持って帰るだけですってば。
心配しなくていいから見ないで。
片手には黄色と白の冊子の束。もう片方には地味な小さい手提げ。
やはり配って歩くように見えたのだろうか。
悔しいので足早に移動したが、逆に怪しかっただろうか。