第三者からのメッセージで何となく傷ついて、その旨を漠然とつぶやいてみた。
公にぶちまけたら相手への中傷になってしまうが、誰かに聞いて欲しかったのだ。
気に掛けてくれた人が一人、つい呼び出してしまい応えてくれたのが一人。
それだけで十分すぎる慰めだったのだが、二人とも話を聞いて同情してくれた。
「その優しさに相手が気づいてくれたらいいのに、勿体ない」
唯々諾々と相手の話を聞いてしまうのは、気が弱くて拒絶できないだけなのだが。
それで「何でも聞いてくれる、話しやすい」と思われているものだろうか。
「落ち込んだ時、いらついている時に一声かけてくれる」
まあたいしたことは言っていないし、半分ちゃかすような気持ちで書き込んでいることも多い。
それでも、受け取り手によっては、ありがたい言葉なのだとか。
私から見たら、どちらもむしろ無責任な言動なのだが。
もしかすると他人様も同じようなもので、私が気にしすぎているだけなのだろうか。
まだまだ、社会との距離の取り方が分からない。
名残惜しさ
東京の同業者が大阪へ遊びに来るというので、梅田で夕飯をご一緒することに。
元・日本人の素敵なお姉様は背中だけで識別できる姿勢美人。
他国に帰化しているため、「外国」の指す意味が日本だったり欧州だったりして面白かった。
年末に日本を離れるというので、お会いできるのはこれが最後の機会かもしれない。
かと言って特に「これが最後」という緊張感はなかったのだが。
せっかくなので大阪らしいものを、とお好み焼き屋へ。
良くも悪くも繁盛店なので、外で待たずに座れたのはいいが、あまり落ち着ける雰囲気ではなかった。
ともあれ、店員さんが焼き上げるお好み焼きは形からして美しい。
焦げもしない火加減だったのに、意外と早く焼けて少し驚いた。
その間、決してお喋りに夢中だったというわけでもないのだ。
初対面の時に感じていたよりも更に控えめな方のようで、向き合ってみると意外にも無口。
あまり女性と話している感じがしなかった。
食べ終わるか否かぐらいの間合いで店員さんが伝票とお冷やをあらために来た。
退出を促されていると強く感じたので、おとなしく離席して精算。
予定のイベントまで時間がまだあるようなので、地下街へ移動してお茶することに。
仕事の受け方やら量やらの話も多少は聞いたものの、主眼はやはり転居を伴う国際移動。
引っ越し荷物が船便だからゆっくりだとか、搬入先が実は未定だとか。
ビザは要らないが住民登録は要るとか。
全く経験も心当たりもない話ばかりだったので、何から何まで新鮮だった。
そこから先はある意味お決まりの、「ついったーと私」。
仲間のつながりかたが面白いよね、いざ会うと名残惜しくて引きずるんだよねといったところ。
引きずるあまり5次会だとか終電だとか、端から見ていても笑ってしまう。
…などと話していて店を出たら、向かいのシャッターが降りている。人のことは言えない。
好き嫌い
好きな歌の一節に「大切なものには理由などいらない」というのがある。
最近になって何故かその意味が分かるようになってきた。
理性による判断を超越したところに、「好き、嫌い、大切、要らない」があるのだろう。
自分に自信がないあまり、好意的に接してくれる人の気持ちが分からなくて聞いてしまうことがある。
どうして気に入ってくれているのか、どうして高く評価してくれるのか。
後者の場合は割と具体的な回答をもらえるが、前者となるとそうもいかないことが多い。
「だって、好きなものは好きでしょ。それ以上は細分化できないし、する気もない」
その人自身が、分析を放棄している状態の場合。
感情か本能か分からないが、理屈ではなく答えが出ていることもあるのだということ。
答えが出ていない人は、分析につきあってくれる。
一つずつ丁寧に、こちらの長所を説明してくれたりもする。
それでも自覚していなかったことを指摘されると、反射的に否定したくなってしまうのではあるが。
好きだから、と答えられてしまうと、こちらも思考停止せざるを得ない。
なにがしかの思考過程や経験の整理を経て出た答えかもしれないし、単なる直感かもしれない。
いずれにしても、好き嫌いはまず動かない結論に昇華してしまっていると思う。
はて、自分の好きの持って行き場はどうしたものか。
自分の立ち位置
セルフブランディングなる言葉が最近よく目に入る。
自分で自分に焼き印を押すとは物騒な。なんて揚げ足取りはさておき。
私は「自分が身を置く社会の中でどのような立ち位置にあるかの認識」と解釈している。
「こうなりたい」「かくあるべき」という目標に合わせて設定してしまうのもあり。
「こう見えるのかな」「こう思われていそうだ」という外からの情報で推測するのもあり。
(推測には必ず自分の意思が入るのでよしとする)
そういう認識を持っておくことが、交流する相手に何らかの信頼感を与えるのではなかろうか。
さて、そこで自身はどう認識しているのかと言うと。実はよく分かっていない。
勤めていた頃の考課面談で聞いた評価、最近ついったーで頂く評価、いずれも実は香ばしい。
よくお世話になっている翻訳会社の方からも、ありがたい言葉を頂いたことがある。
しかし、甘言ではないかと疑ってしまって素直に信じられない自分がいる。
皆さん大人なので、他人をなじるようなことは言葉にしないのだろうが。
悲観主義者なので負の言葉を待ってしまっている面もあるのだろうとは自覚している。
たとえ甘言であったにせよ、それすら言うに値しない相手と認識されるよりはましなはずだ。
例外は完璧な裸の王様である場合だが、それはそれでひとつの幸せなので不問に付す。
現実での評価は「孤独を好む職人」、ネットでの評価は「人の輪の中心」とほぼ正反対だ。
複数人からの声なので、どちらも嘘ではないと思う。
そして、二つの「嘘ではないと思う」を「本当だ」に昇華させる過程が、私の宿題。
安易に回答をひねりだして提出すれば許されるものではない、考える過程そのものが課題だ。
暫定結論として、学生の頃までの評価はほぼ関係ない。
良くも悪くもそこをきちんと認識しないと、社会人としてふるまっていることにならないと思う。
接待ごっこ
義母が昼食の予約をしてくれているので、まずは母の手土産を運びがてらダンナ実家を訪問。
しばらくお茶など頂きながら、母達の世間話をそっと聞き流す。
ほどよい時間に義母・ダンナ・母・私の四人で会食場所へ数駅移動。
勿体ないほど贅沢な和食コース料理を頂いた。
食事中、私も聞いていなかったような昔の話をいくつか耳にして内心ざわつく。
物心つくかつかないかの頃から私が伯母の世話になっていた背景事情。
両親が共働きだったからとしか聞いておらず、そんなものかと疑問にも思っていなかった。
母方の祖母が入院していたためだったのだという。
それ以上は聞くまでもなく、いろいろな点と線がつながっていった。
まさに、親の心子知らず。
食後は途中駅で義母と別れ、淡路島へ。
ダンナが珍しく宿を手配してくれていたので、一路そちらへ向かう。
高速バスでは母と並んで座り、話しそびれていたこちらの近況を少し伝えた。
「ずっと孤独な仕事じゃないかと心配していたから、友達ができて何よりだよ」
ぐらいしか返事はなかった。
バスが終点に着くまでの間、父と兄の近況を聞く。
いずれとも直接の連絡がないため、母づてに知るしかない。
まあ相変わらずとしか言いようのない状況だったのは、一応いいことなのだろうか。
予約してくれていたのは、温泉大浴場がある大型ホテルの、何故かスイートルームだった。
「ちょっとの追加料金だったから」というセンスは正直こちらにはなかったので驚く。
母には和室部分に寝てもらい、我々はツイン部分に寝ようという話になった。
お陰で、特に暑がりの母が気兼ねなく冷房をつけられるように。
26度は我々にとって十分な涼しさだったが、客観的に考えれば夏日の気温なのだった。
母と連れだって温泉大浴場へ。
いつになく彼女が小さく、年を取ったように見えた。
特にこれといった話をするでもなく、部屋に戻る。
実は移動中に定期案件が一つ入ってしまったのだが、今回はPCを持ち出していなかった。
母がいるところで仕事をすると、悲しませてしまうからと思い、敢えて自宅に置いて出たのだが。
定期案件は私が客先から指名されており、非常に断りづらい。
しかも分量が少ないので、納期も短い。
部屋にはLAN回線が用意されていたので、愛機さえ手元にあればすぐ済む難易度だった。
ダンナが持参したPCを貸してくれたのだが、ちょっと触って違和感のあまり断念。
帰着後に着手しても納期は守れそうだったので、ひとまず後回しにして何気なく過ごす。
夕食は、これまた豪勢な和会席だった。
開始時刻を遅めにしていたのだが、品数の多さに食べきるのがようやっと。
もう少し若かったら、母が箸を付けなかった揚げ物を譲り受けていたかもしれない。
「もう15年前だったら残さず食べられたのかねぇ」が少し耳に痛かった。
そもそも母は小食なほうだったが、さらに…なのだろうか。
食後、一時間ほどして二度目の入浴。
リビングでついているテレビにどうしても苛立ってしまい、MIDを立ち上げてついったーを覗く。
私がテレビ、殊にドラマ嫌いなのは母も承知しているはず、という甘えもあった。
黙っていては不機嫌に見えそうだし、話しかけたら邪魔になりそうで、不必要に気が咎める。
結局いつもこんな感情を抱いてばかりで、まともな気遣いが何もできていない。
一方的に気まずくなってしまったので、一人で再び大浴場へ。
幸い、私が戻って間もなく二人は就寝した。
こちらは眠れそうにもないので、悪戦苦闘しながらも結局ダンナのPCで翻訳作業。
これでは結局、散財しただけで親孝行にはなっていなかったような気がする。
逆帰省
母が我が家にやってきた。
前回もそうだったが、何泊するか分からない。
当人に聞いても未定とのこと。
とりあえず、麦酒を冷やして新大阪まで迎えに出た。
東日本の朝とは10度ぐらい違うせいか、改札で羽織を脱ぐ母。
ヒートショックにならないかと心配しつつも、まずは自宅へと同行。
長旅でさぞや疲れているだろうと思っていたが、存外に元気なようだった。
まずは烏龍茶で一服してもらい、いつもの放鳥。
顔を覚えていないのか、こまが一向に近づこうとしない。
おやつを手のひらに乗せたら、やっと寄っていった。
まずはひととおり、近況を聞く。みんな相変わらずのようだ。
多少の不調や悩みを抱えつつも、まあ平和に折り合いを付けて暮らしているらしい。
そうせざるを得ないという諦めのようなものが随所に聞こえるのではあるが。
とりわけ深刻だったのは、生活にかかる費用の話。
父の年金は税金やら健康保険料やら天引きされるとほぼ残らないという。
どうにか二十年分ほどの蓄えはあるが、どこまで生きていていいのかという問いに答えられなかった。
今の私には「大丈夫、養ってあげる!」と言えるだけの甲斐性がない。
正直、この先そんなたいそうなものを身につけられる自信もない。
「あんたには先にふるかわ家を支える責任があるからねぇ」のつぶやきが重かった。
はるばる出てきて疲れているところに申し訳ないとは思うものの、積年の悩みをぶちまける。
母が直接どうにかできる問題ではないが、彼女の助力なしに解決できそうにもない。
言質を引きだそうとするつもりはなかったが、静かに「できるだけ伝えておくね」と言ってくれた。
いかんいかん。ちょっとでも親孝行しておかねばならぬ時に、却って心配事を背負わせてしまった。
明日は義母との会食の後、淡路島にでも連れて行こうかと思う。
などとカッコイイことを言いつつ、手配はダンナがしてくれたのだった。
孤独と翻訳と自由業
彼岸を過ぎて狂ったような暑さも鎮まり、ふと過ぎた夏を振り返る。
この夏は、自分にありえないほど、たくさん外出して人と会った。
お会いして話をしてきたのは、主に同業の方々。
個人翻訳者はその定義からして同僚を持ち得ないのだが、皆さん同僚と言っていいのではと思う。
こちらから一方的には、仲間だと思いこんでいるのだが。
仕事をすればするほど部屋に籠もってしまい、通勤先がないので他人と全く会わない生活。
不自然だとは思いつつも、春頃までの三年ほど、そんな日々が続いていた。
ダンナとすら食事中ぐらいしか会話もしないし、外を見てこないので話題すらない。
日本語の鮮度が落ちそうだと危惧しつつも、ここで日記を書くぐらいしか対策してこなかった。
その延長でついったーに指を伸ばしてから、何かがいつの間にか変わってこんなことに。
我ながら鈍いのか全く気づいていなかったが、似たような状況にいる人は結構いたのだ。
業種や業態が同じなのだから、似たような生活を送っていてもおかしくはない。
しかし、何度か出た単発セミナーの交流会では、こんな気持ちになったことはなかった。
仲間がいる。
孤独と翻訳業と自由を抱えながら、前向きに歩いている仲間がいる。
それぞれが持つ孤独は、由来も質も違う。だが、どこかしら共鳴するものがある。
それぞれが請ける仕事は、言語も分野も違う。それでも、同じことを悩むことがある。
それぞれが手にする自由は、一見どこも重ならない。それでいて、どこかしら重なり合う。
話題を共有して分かったこと、場を共有して気づいたこと。
それもきっと各人ばらばらなのだが、私の場合、敢えて言語化すれば心強さだ。
(敢えて言語化したところで何が切り落とされたのかは自由にご想像いただきたい)
皆さんにお会いするまで得られなかった感覚であるとは断言できる。
「ツイてましたね」
原稿を待つこと丸々半日、未明に日程変更の憂き目にあった。
変更後の案件について電話があったのは昼前。
さんざんな目に遭わされたので(とは明言しないが)以降の案件もろとも断る。
何ともやるせない気分を抱えていたところ、携帯が鳴った。
「いろいろと大変だったようで…よかったらお茶でもと思ったのですが」とのメールが。
とても救われたような思いがして、すぐに「嬉しい!」と返信を打った。
車で迎えに来てくれたので、目的地を問うこともなく気軽に乗り込む。
見慣れない景色を過ぎて着いた先は、かなり大きなカフェだった。
一階部分の半分ほどが焙煎工場、残り半分が珈琲豆の販売コーナー。
吹き抜けで焙煎工場を見られるようにした二階部分がカフェとして営業していた。
ミルやらドリッパーやら、本格すぎてついていけなさそうな器具がカウンターに並ぶ。
到着した時点では禁煙席が塞がっていたので、しばらく店内を眺めながら待った。
案内された席は一人掛けソファが向かい合わせになっている贅沢な造り。
一人掛けと言っても、女性なら二人はいけそうな大きさだった。
ふかふかさのあまり半分ほど沈みながら注文伺いを待つ。
かなり前から参加を予定しておきながら、先週の案件がひっかかって出られなかったイベントの話を聞く。
まあおおよそ想像していたとおりだったので、妙な安心感を覚えた。
大規模なイベントは遠くで羨んでおくぐらいが丁度なのかもしれない。
少人数でちんまりやろうという企画もちらほらあるようなので、そちらには誘ってもらえたらと思う。
こうして卓を挟んでまったりと話し込むほうがよほど楽なのだから。
気づいた頃には一時間ほど過ぎており、ぼちぼち帰るべき時刻に。
「このお店に禁煙のソファ席があったなんて、…今日はツイてましたね」
そのツキをくれたのは間違いなくこの人だと思う。
まあそういう人にこういう間で声を掛けてもらえたのが、私のツキだったかもしれないが。
支え助けてくれる人に恵まれ、幸せだと実感した次第。
密会ごっこ
ある程度以上の案件を仕上げた時には、密やかに「打ち上げ」を挙行することにしている。
とは言え一人仕事の打ち上げなので、たいていはダンナと近所でパフェを食べて終わりなのだが。
今回は人生初(!)お友達と半日も遊んできた。
先日から何の気なしに「今度カラオケご一緒しませう」と言っていたのが結実してしまったのだ。
まさに瓢箪から駒。
歌いに行ってしまうと会話する暇もないから、ということで、まずは会食。
コースとまでは行かないが、少しだけ贅沢な釜飯御膳にした。
選んだ理由は「胃に優しいから」そして「時間がかかりそうだから」。
お互い飽食気味で、料理そのものよりも会話優先といった感じだった。
納得してそういうお店を選んだぐらいなので、当然のように話は弾む。
ただ、四方山話や趣味の話といった明るい話題はほとんどなく、むしろ身の上話が多かった。
一人で抱え込んでいると暗くなってしまうような話でも、何故か笑顔で発散できる関係は貴重だ。
食後、いざカラオケ屋に移動。妙な緊張で、二人ともおかしな笑いが顔に張り付いている。
自分の意志で遊ぼうとしているだけなのに、何故か「どうしてこうなった」と思ってしまう。
相手も同じ顔をしていたので、恐らく似たような感情だったのだろう。
なかなかその緊張が取れず、一曲目では声が真っ直ぐに出なかった。
一曲目は準備運動なので、声域ど真ん中で高低差が少ない旋律のものを選んでいるのだが。
まあ状態はお互い様だったので、それでよしとする。
選曲は特に「縛り」なし。気の向いた順に好きな曲を入れていくと、全くかぶるものがなかった。
全く知らない曲を聞くのも悪くない。
「こういうのが好きなのね」という気づきみたいなものもあるし、新しいものを知ることも面白い。
何より、他人様の歌っている姿を観察するのが面白かった。(意地が悪いかもしれないが)
選曲も発声もノリノリなのに、表情だけ深刻すぎるほど真剣。
だからこそなのかは分からないが、話す声からは想像しがたいところにある美声を拝聴できた。
自分の番にはひたすら歌い、相手の番には聞いているだけ。
本気で遊ぶのは本気で楽しい。
地下街のお店でおやつ休憩。
ほんの一休みして解散かなと思っていたが、気がつけば5時すぎ。
1時間ぐらい話し込んでしまっていたらしい。
仕事の引き合いメール着信に促されたような形で席を立ち、やっと?駅で解散。
それにしても、こんなことってあるのね。
些か魂が抜けたような気がしないでもないが、心底から楽しかった。
無理してみた
東京に出ている間、抱えていた仕事を処理する暇がなかった。
納品できるほど暇では仕方がないので、まあいいことなのだが。
水曜納期の案件を月曜と火曜で片付け、水曜と木曜は穴が開いたように呆然としていた。
恐らく、その案件が手元になかったら、もっとひどい喪失感に苛まれていただろうと思う。
先週納品分の続きだとかいう打診が入るも、割が合わない条件だったので断る。
原文単価1.5セントはあまりにも安く、到底やる気になれない。
(その件では結局「日給30ドル」になってしまった泣くに泣けない経験がある)
まあ海外案件を断ってもそのうち国内でいい条件が、と思っていたら今度は単価3円。
国内で3円もひどいし、まして「難易度が低い」アンケート回答だったのでこれも却下。
アンケート回答は個人的に心がすり切れるので負荷が高く感じるのだ。
武士は食わねど高楊枝、と言うが、さてどうしたものかと思っていたところに電話。
一時期いい関係にあった翻訳会社の営業からだ。
その会社には、すばらしいコーディネーターがいて懇意にしてくれていたのだが、独立してしまって今はいない。
その穴を埋める人材がいないのか、営業担当から打診があるというのはゆゆしき事態。
何がゆゆしいのかというと、調整役がいないことである。
ともあれ、案件自体には問題がないようなので、それまでのつきあいも考えて引き受けたのが木曜の午後5時半。
納期は22日水曜の朝、すなわち火曜日いっぱい。
分量は中国語原文約5万文字(原稿PDF102枚)あるのに、丸5日しかない。
しかも「土日でもいいので分納してくれ」という条件つき。
この時点で「やっぱりこの人は分かってないな」と軽い疲労感が漂い始めていた。
1日に1万文字の中国語を和訳する負荷がどれくらいのものか。
参考までに私の通常の処理能力を挙げておく。
公称5000文字、緊急時8000文字が1日の処理可能な分量である。
つまり、今回の案件は軽く能力の限界を超えている。
だが、だからこそ引き受ける気になった。
些か不遜ながら、恐らく他の同業者にはまずできないだろうという読みがあったからだ。
別にその営業さん、その翻訳会社が失注しても私個人が困るということはない。
うまく行けば貸しを作れるぐらいのものである。
厭な予感のドキドキと、限界に挑戦するワクワクが交錯した。
試みに「ちょっと色を付けてくださいよ」と言ったら通ったので、勢い受注確定。
舞い上がっていても仕方がないので、まずは原稿の整理に着手する。
例に倣って支給原稿はPDFだが、納品形式はWordが指定されている。
幸い、今回のPDFはOCR処理しなくても文字が拾えた。
拾った文字を空のWord文書に貼り付け、余分な改行を消す単純作業が約4時間。
半分ほど終わったあたりでWord原稿も支給されたが、あてにならないことは一瞥で分かった。
ヘッダーにあるべき文字列が紙面の中間になど、実用的にあり得ない。
要は営業さん、見る相手のことまで考えてくれていないのだ。
「念のためチェックをお願いします」と言われても、そんな報酬も時間ももらっていない。
単調な文の貼り付け作業だが、原文を何度も目に(頭に)入れるという意義はある。
訳出開始までに、一通り全文の概要を把握しておくことができるのだ。
化学分野ということで経験の有無やら何やら聞かれたが、事業計画書なのでそれどころではない。
人事、会計、立地条件、化学物質の特性、行政手続きと、ほぼ何でもあり状態。
つまり翻訳メモリが余り役に立たない。地味に一大事だ。
手を付けてみないとペース配分が分からないので訳出に取りかかり、約一晩。
飽きてはついったーに顔を出していたので、「夜勤」の人々に珍しがられるなどした。
作業の合間に洗濯や料理をするのは休憩がてら。
自分でも信じがたいぐらいの早さで訳出が終了した。
受注(の瞬間)から丸4日。
少し寝かせてからてにをは確認をするつもりなので、達成感はまだない。
空の目薬瓶だけが残った。
