ある程度以上の案件を仕上げた時には、密やかに「打ち上げ」を挙行することにしている。
とは言え一人仕事の打ち上げなので、たいていはダンナと近所でパフェを食べて終わりなのだが。
今回は人生初(!)お友達と半日も遊んできた。
先日から何の気なしに「今度カラオケご一緒しませう」と言っていたのが結実してしまったのだ。
まさに瓢箪から駒。
歌いに行ってしまうと会話する暇もないから、ということで、まずは会食。
コースとまでは行かないが、少しだけ贅沢な釜飯御膳にした。
選んだ理由は「胃に優しいから」そして「時間がかかりそうだから」。
お互い飽食気味で、料理そのものよりも会話優先といった感じだった。
納得してそういうお店を選んだぐらいなので、当然のように話は弾む。
ただ、四方山話や趣味の話といった明るい話題はほとんどなく、むしろ身の上話が多かった。
一人で抱え込んでいると暗くなってしまうような話でも、何故か笑顔で発散できる関係は貴重だ。
食後、いざカラオケ屋に移動。妙な緊張で、二人ともおかしな笑いが顔に張り付いている。
自分の意志で遊ぼうとしているだけなのに、何故か「どうしてこうなった」と思ってしまう。
相手も同じ顔をしていたので、恐らく似たような感情だったのだろう。
なかなかその緊張が取れず、一曲目では声が真っ直ぐに出なかった。
一曲目は準備運動なので、声域ど真ん中で高低差が少ない旋律のものを選んでいるのだが。
まあ状態はお互い様だったので、それでよしとする。
選曲は特に「縛り」なし。気の向いた順に好きな曲を入れていくと、全くかぶるものがなかった。
全く知らない曲を聞くのも悪くない。
「こういうのが好きなのね」という気づきみたいなものもあるし、新しいものを知ることも面白い。
何より、他人様の歌っている姿を観察するのが面白かった。(意地が悪いかもしれないが)
選曲も発声もノリノリなのに、表情だけ深刻すぎるほど真剣。
だからこそなのかは分からないが、話す声からは想像しがたいところにある美声を拝聴できた。
自分の番にはひたすら歌い、相手の番には聞いているだけ。
本気で遊ぶのは本気で楽しい。
地下街のお店でおやつ休憩。
ほんの一休みして解散かなと思っていたが、気がつけば5時すぎ。
1時間ぐらい話し込んでしまっていたらしい。
仕事の引き合いメール着信に促されたような形で席を立ち、やっと?駅で解散。
それにしても、こんなことってあるのね。
些か魂が抜けたような気がしないでもないが、心底から楽しかった。
無理してみた
東京に出ている間、抱えていた仕事を処理する暇がなかった。
納品できるほど暇では仕方がないので、まあいいことなのだが。
水曜納期の案件を月曜と火曜で片付け、水曜と木曜は穴が開いたように呆然としていた。
恐らく、その案件が手元になかったら、もっとひどい喪失感に苛まれていただろうと思う。
先週納品分の続きだとかいう打診が入るも、割が合わない条件だったので断る。
原文単価1.5セントはあまりにも安く、到底やる気になれない。
(その件では結局「日給30ドル」になってしまった泣くに泣けない経験がある)
まあ海外案件を断ってもそのうち国内でいい条件が、と思っていたら今度は単価3円。
国内で3円もひどいし、まして「難易度が低い」アンケート回答だったのでこれも却下。
アンケート回答は個人的に心がすり切れるので負荷が高く感じるのだ。
武士は食わねど高楊枝、と言うが、さてどうしたものかと思っていたところに電話。
一時期いい関係にあった翻訳会社の営業からだ。
その会社には、すばらしいコーディネーターがいて懇意にしてくれていたのだが、独立してしまって今はいない。
その穴を埋める人材がいないのか、営業担当から打診があるというのはゆゆしき事態。
何がゆゆしいのかというと、調整役がいないことである。
ともあれ、案件自体には問題がないようなので、それまでのつきあいも考えて引き受けたのが木曜の午後5時半。
納期は22日水曜の朝、すなわち火曜日いっぱい。
分量は中国語原文約5万文字(原稿PDF102枚)あるのに、丸5日しかない。
しかも「土日でもいいので分納してくれ」という条件つき。
この時点で「やっぱりこの人は分かってないな」と軽い疲労感が漂い始めていた。
1日に1万文字の中国語を和訳する負荷がどれくらいのものか。
参考までに私の通常の処理能力を挙げておく。
公称5000文字、緊急時8000文字が1日の処理可能な分量である。
つまり、今回の案件は軽く能力の限界を超えている。
だが、だからこそ引き受ける気になった。
些か不遜ながら、恐らく他の同業者にはまずできないだろうという読みがあったからだ。
別にその営業さん、その翻訳会社が失注しても私個人が困るということはない。
うまく行けば貸しを作れるぐらいのものである。
厭な予感のドキドキと、限界に挑戦するワクワクが交錯した。
試みに「ちょっと色を付けてくださいよ」と言ったら通ったので、勢い受注確定。
舞い上がっていても仕方がないので、まずは原稿の整理に着手する。
例に倣って支給原稿はPDFだが、納品形式はWordが指定されている。
幸い、今回のPDFはOCR処理しなくても文字が拾えた。
拾った文字を空のWord文書に貼り付け、余分な改行を消す単純作業が約4時間。
半分ほど終わったあたりでWord原稿も支給されたが、あてにならないことは一瞥で分かった。
ヘッダーにあるべき文字列が紙面の中間になど、実用的にあり得ない。
要は営業さん、見る相手のことまで考えてくれていないのだ。
「念のためチェックをお願いします」と言われても、そんな報酬も時間ももらっていない。
単調な文の貼り付け作業だが、原文を何度も目に(頭に)入れるという意義はある。
訳出開始までに、一通り全文の概要を把握しておくことができるのだ。
化学分野ということで経験の有無やら何やら聞かれたが、事業計画書なのでそれどころではない。
人事、会計、立地条件、化学物質の特性、行政手続きと、ほぼ何でもあり状態。
つまり翻訳メモリが余り役に立たない。地味に一大事だ。
手を付けてみないとペース配分が分からないので訳出に取りかかり、約一晩。
飽きてはついったーに顔を出していたので、「夜勤」の人々に珍しがられるなどした。
作業の合間に洗濯や料理をするのは休憩がてら。
自分でも信じがたいぐらいの早さで訳出が終了した。
受注(の瞬間)から丸4日。
少し寝かせてからてにをは確認をするつもりなので、達成感はまだない。
空の目薬瓶だけが残った。
郷愁
知人が原風景の写真をブログで見せてくれた。
写真だけだったら「ふうん」と通り過ぎてしまったかもしれないが、そうさせない何かが本文にあった。
つまりは、原風景というのは、現実の風景と心象風景の重なった代物なのだな、と。
振り返って、自分の原風景はどこだろう、何だろうとしばし考える。
昼なお暗い防風林のような気はするし、延々と続く田んぼだった気もする。
でもその両方を否定してしまいたい気分があって、何だろうと思っていたら。
あの透明な哀しみと懐かしさを蘇らせる風景は、見えるものではないことに気づいた。
私にとってのそれは、金木犀の香りである。
小さい頃、私は「おばちゃんち」にいた。
朝晩はちゃんと両親の家にいたのだが、早寝早起きのせいかほとんどその記憶がない。
幼稚園から「帰る」場所は「おばちゃんち」であり、遊ぶ場所も必然とそこだった。
おやつをもらっているうち従姉の「おねえちゃん」が帰ってきて、ほとんどいつも遊んでくれた。
夕方になるとキバタンの「きいちゃん」が何度か呼び鳴きをして、父の車が来たことを知らせてくれた。
正直、その頃の「おばちゃんち」から自宅までの家路は暗すぎて何もおぼえていない。
その頃の「おばちゃんち」と自宅を結びつけていた感覚が、金木犀の香りだったのだと思う。
今いる家の近所にも金木犀の植えられた公園があり、その時期になると郷愁を感じる。
こちらでは秋晴れでも高く抜けるような空にはならないが、思い出すことはできる。
多分それが、私の原風景。
PROJECT Tokyo 2010第四講 翻訳は身体に悪い
本来の演題は「翻訳者のためのオフィス環境アセスメントと健康アドバイス 」だった。
投影されていたスライドが英語版で講義は日本語という特殊な進行。
講師のユウノ・ディニーさんは「踊る翻訳者」で、どう見ても運動不足ではなさそうだが、RSI(反復性過労障害)の前歴があるそうだ。
翻訳業は動かない、ストレスが貯まる、(物理的には)単調作業の連続。
肥満…やけ食い?→生活習慣病、DVT(血栓症)、腰痛、肩こり→頸椎ヘルニア、RSIの恐れが。
RSIは上半身ほぼ全域に及ぶ。翻訳作業でテニス肘(講師の実体験)になることも。
主な症状としては腫れ、むくみ、可動性低下など。
疲れが一晩で抜けない、手が冷える、荷物を避けたくなる、手が震える、痛いといった前兆がある。
RSIに陥りやすいリスク要因は、病気や怪我の経歴、まじめすぎる性格、作業の重複(趣味も含む)、姿勢や手の角度などの固定、、作業環境(道具の配置)、ストレス、休憩不足など。
RSIの予防について、労働環境を整える欧州指令はあるが、日本の法律は特にない模様。
尤もその欧州指令とて、雇用者にかかる義務である。
フリーランス翻訳者は自分が雇用者なので、自己防衛はどちらから言っても当然か。
「人間は事務作業をするイキモノとして設計されていないので、エルゴノミックな事務用品は欺瞞」
RSIの予防手段には、作業環境(机、椅子) 入力デバイス 就業/生活習慣 の改善がある。
まず、自分の体格に合った椅子の入手が無理なら、椅子の調節を。
座面高、背もたれの角度、モニターとの距離(キャスターで動かしやすいか)が調節要素。
腕の伸ばしすぎ、モニターと資料の配置にも注意(ねじれ姿勢による負荷)。
モニター(複数ある場合は主に使う方)は体に正対させ、ねじれ姿勢を予防すること。
モニターの高さはきちんと座った時の目の高さより少し下。
肘は直角や鋭角にならないように。
ノートPCだと、モニターとキーボードの位置が「あちらを立てればこちらが立たず」なので要注意。
自宅環境の場合はノートPCでも外付けキーボードをつなぐべきか?
背もたれはほぼ必須で、おおむね肩甲骨の高さ。
腕などの疲労を予防するため、すぐ使うものは近くに。
姿勢は他人に見てもらうのが一番。
書き物とタイピングでは適した高さが違うので、机または椅子の調整を。
足が床に着かない場合は台を利用。
机と椅子はセットで具合を見て買うのが吉。
アームレストは一長一短、環境による。(椅子の移動を妨げないのが前提)
マウスでの作業はキーボードよりも単調なので、ショートカットキーなどで適宜回避を。
ただし「同じ作業、同じ姿勢の繰り返し」は禁物なので、取り混ぜるバランスが肝。
奥向きに傾斜したキーボードトレイがあると、手首の負荷軽減によい。
就業習慣、生活習慣の改善も重要。
特に強調されていたのは休憩の重要性。
しっかりと席を離れて、めりはりよく休憩すること。
そのためのリマインダーソフトなどもある。
もし休憩中に電話が鳴っても取らないぐらいでちょうどよい。
そこで休めない性分もRSIのリスク要因なのだから。
PROJECT Tokyo 2010第三講 翻訳会社の作業の流れと翻訳者に期待すること
13:30-15:00の講義は、 (株)東輪堂の香村美弥子さんによる、翻訳会社の仕事概要について。
翻訳会社での勤務経験がないこともあり、個人的には本日の大本命。
講師の方は翻訳会社の社員ながら、フリーランス翻訳者のご経験あり。
そのせいか、かなり翻訳者に同情的な配慮や仕事の手配をしていらっしゃるのが随所で光っていた。
東輪堂が新規登録者をスカウトするのは、特需が出たとき、予備の両方。
予備でスカウトされた場合は実際の案件発注に結びつくのが往々にして遅くなる。
と言うのは、想像に難くないことながら、つきあいの深い順から発注することになるためだ。
ちなみに、この「つきあい」には年賀状や贈答品は含まないとのこと。
ただ、東輪堂のほうから声がかかったら、仕事の脈はある。
日英ではご本人の経験上、JAT〉ATA〉Prozの順で候補者の質を信頼しているそうだ。
希望は経験2年以上。未経験でも自言語に見るべきものがあれば採用。
主に英日登録希望者の日本人の場合は日本語、訳文だけでなくメールの印象も影響。
トライアルでは、原文の意図を把握する精度、訳文の読みやすさを重視とのこと。
用語を調査する、正しく使うというあたりは当然と見なしているようだ。
トライアル合格者でも、最初の本番がひどいときはフィードバックしない。
脈ありの場合のみ、現実的に改善可能な点のみ具体的に赤入れして返す。
翻訳者の選定は分野×コスト。
会社から見たコストには校正の工数を含むため、報酬額が安ければよい訳ではない。
直しが少なくて済む翻訳者には、高めに支払っても割安になる場合が出てくるのだという。
東輪堂の体制として、大型案件ではコーディネーターの上位にエディターを配備する。
エディターの役割は、主にDTPオペレータなどとの連絡。
案件の規模に関わらず、チェッカー(校正担当者)は必ずいる。
東輪堂のチェッカーは自言語しか上書きしない。修正を促すコメントのみ翻訳者に返す。
社内翻訳者と軋轢を生じた経験から、他言語の赤入れはしないのだそうだ。
チェッカーは未熟なほど(手加減ができないため)赤入れしたがるとのこと。
自分が働いているんだという主張が出てしまっているのだろうと邪推。
予算が少ないとき、翻訳者の報酬を削らない主義のため、校正の工数を削ることになる。
その場合、逆の意味になったり数字が狂ったりしていないかを重点的に見るとのこと。
校正の工数に実際どのぐらいを見込んでいるのかという質疑応答あり。
翻訳納期1日のとき校正は半日と見積もるが、安全を見込むと待ってもらう期間は3日。
不況になってから相見積もりを取られる頻度が上がったそうだ。
客先納期に余裕がない場合は翻訳者の予定を押さえてから見積を提示するのに失注することも。
いざ原稿支給の直前となってからキャンセルされることもしばしば。
(5件も連続したことがあるというのだから、翻訳会社も大変だ)
なし崩し的に質疑応答。
Q:チェッカーとして採用した人物を翻訳者に育てるか?逆の場合はあるか?
A:翻訳がうまい人だからと言ってチェックがうまいとは限らない。
必要な資質が違うので、少なくとも東輪堂では下積みとして校正をさせることはない。
Q:おかしな内容を含む用語集が出てくるのはどうして?
A:客先から渡されたものを翻訳者に丸投げしている場合、えてしてそうなる。
Q:報酬額に合わせて訳文の質を下げるなんて、翻訳者にはできない。どうしたらいいの?
A:存外に難易度や負荷の高い内容だった場合は翻訳会社に交渉してみること。
即座に報われなくとも、次回以降に色を付けてもらえる場合あり。
翻訳会社が翻訳者に望むことは、至って当たり前のことだった。
・校正の手間がかからない訳文を提出すること
・リピート発注を呼び込む、客先に喜ばれる訳出をすること
PROJECT Tokyo 2010第二講 What to Look for in Translation Memory Software
PROJECT Tokyo 2010の第二講は、「What to Look for in Translation Memory Software」に出席した。
題名からして、資料も含めて全編が英語での講義。
1時間も英語しか使われない講義を受けたのは、生まれて初めてのような気がする。
前提として出席者は英日か日英の翻訳者または翻訳を志す学生なので致し方ないが。
言及があったのはFelix,Trados,DVX,OmegaT、それからWEBアプリケーションであるWordfastAnywhere。
まずは操作画面の特徴が紹介された。DVX,OmegaT,MemoQは専用エディタで左右対訳。
SDL Trados2009は触れられていなかったが、この類型である。
正直なところ、遠目にはどれも似通った顔立ちであまり区別が付かない。
上下対訳形式での表示だったのはWordfast Anywhere。
講師のご自身のお気に入りは「書式不問ならMemoQ、書式ありならFelix」とのことだった。
両者とも、用語管理機能がかなり直感的で親切にできている。
用語集を使用している場合、原文の当該箇所が自動で強調表示。
また、強調表示された任意の箇所を選択するだけで、右側の別窓に訳語が表示される。
MemoQでは、QA(訳語ゆれなどのチェック)機能も分節単位で行いやすいよう、対訳画面内の各行に各種ボタンが配置されていた。
用語集の活用だとか、訳文内での表記の確認だとか、かなり省力化がされている。
ただし、日本語などの言語では検索精度がいまいちらしい。
(一文字に使われる情報量の違いや、単語と単語の間にスペースが入らない表記法のせい)
またMemoQでは、翻訳メモリの分節にAttribute(属性情報)を付記して、一つのファイルでも用途別や客先別に使い分けることができる。
Felixではそれがないのか、案件ごとに翻訳メモリを作成するとのことだった。
いかんせんMemoQは多機能すぎるのか、肝心の作業画面に至るまで三枚の画面遷移があり使用感がやや重いらしい。
【感想】
手元のTrados2007で間に合ううちに敢えて乗り換えたいというほどのものはなかった。
ただ、Tradosシリーズは重くて機能がありすぎ、サポートも利用しにくい上に高い。
Trados2007指定案件の引き合いがなくなってきたら、PCを買い換える機会でFelixに乗り換えようかと思った次第。
PROJECT Tokyo 2010第一講 煙のないところに火を起す
日本翻訳者協会(JAT)主催のセミナー複合イベント、PROJECT Tokyo 2010に参加した。
第一講(9:30-10:30)は、松尾譲治さんの「煙のないところに火を起す」。
前提として
・翻訳会社を介さない直接の取引先があること
・専門分野が確定していること
とあったので、自分が対象外なのは明々白々だったわけだが。
背景は昨今の不況ということで、初めに翻訳者のとれる不況対策を列挙。
・取引先を増やす→需要自体が少ないので即効性は期待できない
・料金の引き下げに応じる→薄利多売になって労働負荷は上がる
・対応分野を広げる→中長期的には有利ながら、やはり即効性はない
上記の手段は、この仕事をしていればほぼ誰でも思いつく処世である。
そうではない一手、需要の開拓をいくつか紹介するというのが本講の主旨だった。
訳文の納品という通常の価値を超え、顧客に利益を提供すること。
翻訳作業そのものの特質から、翻訳者は客先の利益につながる情報を提示できるはず。
と言うのは、
・技術や市場の情報を照会、検索する能力
・他社業務の経験による、競合や業界についての知識
といった言わば翻訳の副産物が、相手によっては貴重な情報になりうるのだ。
市場や競合の情報を提供することで、客先に事業展開の需要が生じうる。
いったんその事業が展開されることになると、情報源として重宝される。
「この件について詳しいこの人に、追加情報の翻訳を頼もうか」
「話の分かっている人に通訳(ないし通信文の翻訳)を任せたい」
「情報を握っている人に、もっと深く(商談の手配など)関わってほしい」
などの需要が喚起できればしめたもの。
当該プロジェクト専任の翻訳者になれるばかりか、そこからもぎ取れる信頼と需要は従来より大きくなるはず。
では、情報提供に至る前段階として、すべきこと、できることは何か。
まずは調べれば分かる事項の予習である。
・業界内における顧客(企業)の立ち位置
・所属業界の動向
・顧客(企業)の組織体制、社内構造
これらを押さえておくだけで、話し相手からかなりの信頼を得られるという。
「事情が分かる第三者」と認識してもらうことが最初の目標となるのだ。
そうすると、社内では言いにくい、下手に口外できない、内々の話を聞けるようになってくる。
愚痴の中に改善できそうな点を見つけたら、低姿勢で改善提案を申し出てみる。
そうしたことを積み重ねていくうち、講師ご本人は二社から「技術顧問」として遇されることになった。
余談として出てきた話に、「社内の組織名は電話で問い合わせてしまえ」という技があった。
ISO認証を取得している会社では、その規定のため組織図が公開用に整備されている。
ホームページなどで組織図まで見られなかった場合、そのISOにかこつけて電話で聞くといいのだそうだ。
固有名詞の英文表記なども、見当を付けて「XYZ Dept.ですか?」などと聞けば「いいえZ of XY Dept.です」といった正解を教えてもらえる。
ついでにそれとなく自分を覚えてもらえる「副作用」を見逃す手はないとのこと。
(インターネットで情報収集していては、こうは行かない)
講師いわく「偽コンサル」で喚起しうる需要は概ね三つ。
・製品関連の規格類+市場情報→説明書、マニュアル類
・技術の理解+業界情報→客先と第三者との提携こもごもに関する通翻
・顧客の内部目標+人脈→第三者の紹介
この「第三者の紹介」が何を指すかというと、人脈があれば、自分にできる以上の仕事も断らず引き受けうるということだ。
例えば自分が得意なのは製造技術なのに、人事のことで相談を受けた場合。
そこまで築いた信頼の上で第三者を紹介しても、客先に角は立たない。
さらに仕事を紹介した先の相手がこちらへ別の仕事を紹介してくれる可能性もある。
講師が「偽コンサル」の業務で重視していることの優先順は、いわゆるリアル>ネットである。
見本市/打ち合わせ/交流の機会>>インターネット
【感想】
ともすると下調べから納品までがインターネットだけで済ませられるのが昨今の翻訳業。
それに慣れてしまって実際に足を運び人と会う機会はなくとも生活が成立してしまう。
ただ、それではせいぜい世間一般の翻訳者として景気に翻弄されるばかりなのも確かだ。
とは言え、外に出るのも億劫だし、人に会うのも怖いのはどうしたものか。
最高の八方美人(当社比)の顛末
PROJECT Tokyo 2010に終日参加、交流会にも出席してきた。
セミナーの聴講内容そのものは、ツイートで吐き出したあれこれを後日まとめることにする。
全体的な感想としては、かなり面白かった。
忘れないうちに書き留めておきたいのは、対人関係と感情の記録。
受付開始の十数分前に会場到着。まずは運営側の顔見知りに挨拶。
勝手が分からずきょろきょろしていると、背後から声がかかった。
昨日お会いした皆さんのうちのお一人。寝不足とは思えない爽やかな笑顔だった。
二人で立ち話をしているうちに、一人また一人と見覚えのある顔がやって来る。
受付から第一講までしばらく時間があるので、休憩室に移動してしばし談笑。
第一講に向かう時、どれを受講するか決めかねていた二人が一緒についてきて並びに座った。
第二講もほぼ変わらぬ面子で並びに着席。
講義が英語で行われていたので、何度か左右の方に助けていただいた。
意外だったのは昼休み。
前述の二人が私と同じ講義に出ていたのは、実は昼食を共にする予定だったからである。
待ち合わせで迷うよりは並んでおくよ、ということで午前の講義を選んでしまったらしい。
その三人でさて昼食に出ようかという段になって、「ご一緒していいですか?」と声が。
昨日お昼をご一緒した別の方が二人、流れにはぐれたようにやってきた。
断る理由もないので合流を受け入れると、更に意外な方向から声が。
何と以前JTFセミナーを受講した際の講師だったお方である。
顔と名前を覚えていてくださっただけで光栄、と言えるほどの有名人。
流石にちょっと不思議だとは思ったものの、まあ緊張して困ることもないかと思って受け入れ総勢六人。
この新顔(失礼!)を皆さんに紹介するや、すぐにうち解けてしまった。
セミナー参加者の殆どが高輪口で団体行動をする中、私の一行だけが港南口へ。
土曜のビジネス街は閑散としているので、駅前のカフェでもゆっくりできるだろうと読んで移動した。
少しだけ不安はあったものの、読みは的中。六人が離れることなく席を確保できた。
初めましてやらお久しぶりやらと名刺が交わされるうち、何故か12月のJTF翻訳祭に誘われる。
何でまた遠方の私を東京に誘うのかと尋ねると、「だって有名人だし、集客力が」…有名人?
本来、私なんぞの数桁上の知名度があるはずの御仁に、有名人だなんて思われているとは驚きだった。
ついったー上でお見かけすることはあるものの、滅多に会話もツッコミもしない間柄だったのに。
昨日の前夜祭(訳あって私は欠席)を案内するページの盛り上がりようを見て、そう判断されたのだという。
正直、開いた口がふさがらなかった。
まぁ狙いがついったー上での広報ぐらいなら、おやすいご用なので引き受ける。
流れでJTF翻訳祭にも参加する運びになってしまったかと思われる。
今年は東京に出すぎだと思っていたのに、もう一度か。
まあ翻訳祭も例年とは違った趣向で、分科会形式になるようなので面白そうではあるのだが。
最終講の後、参加者の過半数が公式の交流会へ。
受付のすぐ傍に見知った顔があったので、そそくさとその隣に詰めて座ってしまった。
どこの通勤電車かと思うほどの人いきれにくらくらしてしまい、ほとんど何も食べていない。
いっそ片隅の席で小さくなっていようかと思っていたのだが、そうは仲間が許してくれなかった。
この日のために用意していたチャイナドレスは披露するべきだと四方から唆される。
やっとのことで人波をかき分けて化粧室へ行き、着替えて戻ると微妙な反応。
軽く後悔しかけたところで、お会いしそびれていた取引先の方が現れた。
日中ずっと見かけなかったし、交流会でも探し出して声を掛けるなんて無理かと思っていたのだが。
席にありつけず迷い歩いていたら、チャイナドレスが目にとまってやって来たとのこと。
ちょっとは目立った甲斐もあったというものだ。
同席者に軽く彼を紹介し、再び名刺が頭上を行き交う状況に。
ふと気づいたら、同席者の顔ぶれが変わっていた。
慌ててこちらも名刺を差し出し、「存じてますよ」と言われて複雑な気分。
私が先日Ustreamに出ていたので、見ていた人は一方的にこの顔を覚えているのだった。
実はその状態を想像するだに耐え難く、前夜祭から逃げ出してしまっていたのだが。
公式の交流会がお開きとなり、何となく四人ほどで固まっていたら、またしても人数が倍増。
「人徳だよ」と笑ってくれる人もあるが、自分の回りに人が集まるというのはやはり慣れない感覚だった。
前から約束のあった人にタロット占いを披露すると、後に続く「お客」が三人。
皆さん物好きねと苦笑しながらも、まあそれぞれ喜んでご納得いただけたようなのでよしとする。
それからしばらく、実は一人としか碌に話していない。
今日は楽しかったよね、という話題のはずが人生論になっていたりしたが、何故かしんみりとはせず。
盛り上がりつつも議論を闘わせるようなことはなく。
何だか旧友に再会したかのように長々と話し込んでいたら、不意に泣きたくなった。
一期一会、というほど儚いものではないし、そのまま馴れ馴れしく夜を明かすという勢いでもない。
適当なところで切り上げて電車に乗ると、一旦しまったはずの涙がちらっと出てしまった。
おともだちがいっぱい
遠足(笑)の初日、始発電車で神戸空港に向かい、羽田への着陸は8時20分。
「無線LAN使えます!」との広告を見て気になっていたリムジンバスに乗ってみる。
結果は惨憺たるものだった。
無線LANはwi2と書いてあるが、FON利用者しか使えないし、電源もない。
それどころか、トランクルームを開けてくれなかったので窮屈だった。
文句を言って降りるわけにもいかないので、おとなしくそのまま横浜に向かう。
荷物を分けて半分ほどコインロッカーに放り込み、まずは最初の待ち合わせ。
ついったーで知り合った高校の先輩(!)と「コメダ珈琲」でシロノワールなる名古屋食を試す。
ミニなのに名刺よりでかいとか、「普通」のってどんだけ恐ろしいんだ名古屋。
先輩はいわゆるモーニング。ケーキ類に心を引かれながらも。
超ローカル話に花が咲くかと思っていたが、意外にも全くの世間話だけで90分ほど経過。
次の待ち合わせの相手から先輩の携帯に着信があったので、駅へ戻ることに。
正午に駅で待ち合わせたのは何と総勢12名。
ちょっと中華街でお昼しましょ、と言う話なのがいつの間にやら盛大な規模になっていた。
おのぼりさん丸出しで水上バスで山下公園へ移動。
一人が引率の先生さながら先導してくれたので、ばらばらと続いていく謎の一団。
テレビの撮影現場らしきところに通りがかって追い立てられたり、「赤い靴」の少女像と写真を撮ろうとしたら逆光だったり。でも笑いは絶えない。
それにしても日本人ってどうして銅像を見ると撫でるのだろうか。
御利益にあやかって異人さんに連れられて行っちゃいたいのだろうか。
そして本日の目玉、「招福門」の一室を借り切っての宴。
自己紹介なんて必要なのかい、という和気藹々っぷりながら、一応ということで各人に質疑応答。
本人の回答より第三者の邪推のほうが面白かったり、それでオチがついてしまって次の人に行ったり。
まさかそれだけで二時間半が経過してしまうとは、誰も思わなかったに違いない。
ごく丁寧に婉曲に、店の人から追い立てられたのは四時。
当然のように、個室以外の席はすっからかんだった。
どうせ他の人がいないのだから、ということで?お店の人に全員の集合写真を撮ってもらう。
まだ見せてもらってはいないが、きっと相当いい笑顔だっただろう。
さてお茶に移行するか、という間合いで合流の連絡が入った。
家事があるので帰るという人と入れ替わりで、新しく一人が輪に入る。
ジョナサンのテーブルでも5-6人しか着席できないということで、席替えしつつ彼女と談笑。
ドリンクバーだけで二時間弱が経過。
みなとみらい線で横浜駅に戻り、渋谷直行組と別れたのは私ともう一人。
コインロッカーから荷物を回収して宿に向かう途中、ご一緒してずっと喋っていた。
チェックインを終えて部屋に入った直後、どっと疲れが出て我ながら驚く。
スリッパに履き替えたが最後、脱いだ靴をもう履きたくなくなっていた。
だらだらとついったーを眺めてはみたものの、日中分までの遡及はできず。
「品川についたよー」と携帯に連絡をもらい、あわてて駅まで駆け下りた。
意外にも品川近辺のレストランは混雑気味。
昼がしっかりたっぷりだったので晩ご飯は適当でよかったのだが、ゆっくり座って話せる場所がほしい。
いつもなら空いているお店に行ってみると、運良く席が残っているという態だった。
何も考えずとっぷりと腰掛けてしまい、お冷やがセルフサービスであることに気づくまで数分経過。
料理を決めて注文したあたりで、「品川に行くよー」とのメールが。
高校の今度は後輩が、わざわざ顔を見せに品川まで来てくれたのだった。
もう一人の同席者そっちのけで「まさか東京でこんなに濃ゆい田舎の話をするとは」。
それにしても、私の知り合いは美男美女ばかりで無駄にへこむ。
変な緊張のうち数割はそのせいかもしれない。
いわゆる黒歴史の記憶
あの頃があって今があるので、決別するというつもりではないが。
ようやく人間として落ち着いてきたので、不毛だった時期のことを振り返ってみようと思う。
私は、物心ついた頃からずっと、高校に至るまでいじめられっ子だった。
今にして思えば、ひたすら仲間はずれにされるだけなんて甘いほうだったのだが。
「そんな程度の低い連中とレベルを合わせるな」と親に諭され、自分が悪いと思うほかなかった。
そんな連中にさえ下に見られる自分が情けなくて、身の置き場がなかった。
無論、当時は何度も自殺を考えるほどつらかった。
ただ幸い親戚や兄の友人達がかまってくれたので、帰宅すればさほど寂しくもなかった。
それでもひたすら、学校というものが孤独な戦場に思えて仕方なかった。
ぬるいいじめの被害が深刻に感じられるようになったのは、むしろ大学以降である。
大学生活では優しく気さくな人々に囲まれ、何も不自由するはずはなかった。
なかったのに、その皆さんとの付き合い方が分からなかったのだ。
幼少時から思春期にかけて身につけているべき社会性が、ごっそり欠落していると自覚した。
その瞬間が、いじめの当時よりずっと身につまされた。
いじめられている立場に甘んじて、自らを未熟なままで放置していた報い。
回りは大人ばかりなので、誰もそんなことで私を責めないが、自分で自分が許せなかった。
かといって、子供に戻って人間関係を学び直すことなどできはしない。
大学当時の自分にできることは、それでも相手にしてくれる人々を大事にすることだけだった。
周囲から嫌われている状態に何年も慣れてしまうとどうなるか。
そうでない環境に自分が放り込まれたとき、自分の立ち位置が全く分からないのだ。
当然のように挙動は落ち着きをなくし、おろおろくよくよとした嫌な空気を醸し出してしまう。
新卒で入った会社の同期に「自分を卑下しすぎる」と評価され、泣きそうになった。
分かっているけど直せないことを、第三者に指摘される痛み。
指摘してくれた彼に何の非もないことは分かっているので、逆恨みする気にはならなかった。
ただ、このどうしようもない自信のなさを背負って「社会人」でいる自分に当惑するばかりだった。
どうにか自分を許せるようになってきたのは、最初の会社を辞めて東京に出た頃。
外資系金融という職場がよかったのか、働きを正面から評価してくれる上司に恵まれて少しだけ自信が付いたのだ。
やるべきことをやっているのに萎縮する必要はない。やっとそう思えるようになってきた。
…これでやっと世間様の中卒レベルぐらいには到達しただろうか。