閉ざせる世界

いつものようについったーを眺めていて、急に、全ての会話が遠く思えた。
たくさんの人々で賑わう公園を横目に、一人で通り過ぎるような感覚。
それぞれの会話に気をつければ聞き取れないこともないが、参加できそうな話題もなく。
黙って聞き耳を立てているような自分が、無性に厭になった。
全く当然のことだが、私が参加しなくてもその世界は普通に回っている。
現実と違うのは、発言さえしなければ自分の存在が誰からも見えないことだ。
不気味がられることもなく、通報されることもなく、いつまでも存在し続けることができる。
誰にも気づかれることもなく。
ただ見ているのも虚しくなったので、しばらく画面を閉じてみることにした。


一晩たっても、虚しさが癒えることはなかった。
自分への返信もほとんどなかったが、原因はそこではない。
いつもなら遡ってでも読んでいた発言の主が、大変なことになっていた。
見ていなかったので、当然そんなことにも気づいていなかった自分。
気づいたらすぐに何か声をかけてあげられたかもしれない。
あるいは、まだ話しかける余地はあるのかもしれない。
でも、そうすることに果たして意味はあるのか。
逆撫でしてしまうかもしれないし、傷を広げてしまうかもしれない。
私がその人から見えないのと、どちらがましなのだろうか。
半面、大事な人をかばうことすらできずに、私がそこにいる意味があるのか。


意味もなく存在することが許せない自分がいる。
現実と違って、自主参加の世界だから。
画面の向こうにその世界があるのは確かだが、開かなければ見えず、ないのも同然。
同様に、何も言わない私は誰からも見えず、いないのも同然。
鬱屈した空気をばらまくぐらいなら黙っていようかとは思うものの、それが正しいのかは分からない。
もうしばらく頭を冷やしたら、帰りたいと思えるようになるだろうか。
「…いつまでも悲しみは、悲しいだけじゃないから」
ずっと例の曲が頭を回っている。

みんななかよし

ついったーにはクラスタという概念がある。
大辞林 第二版 (三省堂)によると、クラスター [cluster]:〔同じものの群れ。集団〕
ついったー上のそれもまあ集団と言えば集団なのだが、誰がどこのクラスタなのか誰も定義していない。
ごくゆるい固まりを指しているようだ。
私の場合、翻訳クラスタと鳥クラスタに顔を出している。
いずれにもそれなりに結束や連帯感のようなものがあるのだが、特に集団としてのふるまいは見られない。
恐らく、そこがいいところなのだが。
翻訳クラスタは仕事つながり、鳥クラスタはペットないし趣味つながりである。
(逆に言うと、翻訳クラスタのペットはばらばらで、鳥クラスタの職業はさまざま)
私にとっては両者の性質の違いが面白くもあり、時として苛立つ元になったりしている。


どうしても、仕事の性質上もやもやと湧いてくる不平不満はあるものだ。
しかし何しろ孤独な仕事、本来は愚痴のはけ口など望むべくもない。
ところが、同じことを考え思い悩んでいる同業者は案外たくさんいたことが判明。
ちょこっとつぶやくと、たちどころに同情や同調の言葉が返ってくる。
同業ならではと思うのが「あるある」発言。
独特の快感のようなものがあり、自分もよくやってしまう。
みんなそうなんだね、以上でも以下でもないのだが、これがたまらない。
そして、会話が多く「あるある」を投げ合う間柄の人々は、会って話をしても面白い。
皆さん前向きなので、ほぼ何でも笑って流せるから。
尤も、前向きでない人の発言は読んでもつまらないので読み込んでいないというのはあるが。
見ているだけで励まされるのもありがたいし、自分が誰かを励ませていたらとも思う。
みんなひとりでやっているからこそ、なかよしなのかな。

無責任な優しさ

第三者からのメッセージで何となく傷ついて、その旨を漠然とつぶやいてみた。
公にぶちまけたら相手への中傷になってしまうが、誰かに聞いて欲しかったのだ。
気に掛けてくれた人が一人、つい呼び出してしまい応えてくれたのが一人。
それだけで十分すぎる慰めだったのだが、二人とも話を聞いて同情してくれた。
「その優しさに相手が気づいてくれたらいいのに、勿体ない」
唯々諾々と相手の話を聞いてしまうのは、気が弱くて拒絶できないだけなのだが。
それで「何でも聞いてくれる、話しやすい」と思われているものだろうか。
「落ち込んだ時、いらついている時に一声かけてくれる」
まあたいしたことは言っていないし、半分ちゃかすような気持ちで書き込んでいることも多い。
それでも、受け取り手によっては、ありがたい言葉なのだとか。
私から見たら、どちらもむしろ無責任な言動なのだが。
もしかすると他人様も同じようなもので、私が気にしすぎているだけなのだろうか。
まだまだ、社会との距離の取り方が分からない。

名残惜しさ

東京の同業者が大阪へ遊びに来るというので、梅田で夕飯をご一緒することに。
元・日本人の素敵なお姉様は背中だけで識別できる姿勢美人。
他国に帰化しているため、「外国」の指す意味が日本だったり欧州だったりして面白かった。
年末に日本を離れるというので、お会いできるのはこれが最後の機会かもしれない。
かと言って特に「これが最後」という緊張感はなかったのだが。


せっかくなので大阪らしいものを、とお好み焼き屋へ。
良くも悪くも繁盛店なので、外で待たずに座れたのはいいが、あまり落ち着ける雰囲気ではなかった。
ともあれ、店員さんが焼き上げるお好み焼きは形からして美しい。
焦げもしない火加減だったのに、意外と早く焼けて少し驚いた。
その間、決してお喋りに夢中だったというわけでもないのだ。
初対面の時に感じていたよりも更に控えめな方のようで、向き合ってみると意外にも無口。
あまり女性と話している感じがしなかった。
食べ終わるか否かぐらいの間合いで店員さんが伝票とお冷やをあらために来た。
退出を促されていると強く感じたので、おとなしく離席して精算。


予定のイベントまで時間がまだあるようなので、地下街へ移動してお茶することに。
仕事の受け方やら量やらの話も多少は聞いたものの、主眼はやはり転居を伴う国際移動。
引っ越し荷物が船便だからゆっくりだとか、搬入先が実は未定だとか。
ビザは要らないが住民登録は要るとか。
全く経験も心当たりもない話ばかりだったので、何から何まで新鮮だった。
そこから先はある意味お決まりの、「ついったーと私」。
仲間のつながりかたが面白いよね、いざ会うと名残惜しくて引きずるんだよねといったところ。
引きずるあまり5次会だとか終電だとか、端から見ていても笑ってしまう。
…などと話していて店を出たら、向かいのシャッターが降りている。人のことは言えない。

好き嫌い

好きな歌の一節に「大切なものには理由などいらない」というのがある。
最近になって何故かその意味が分かるようになってきた。
理性による判断を超越したところに、「好き、嫌い、大切、要らない」があるのだろう。
自分に自信がないあまり、好意的に接してくれる人の気持ちが分からなくて聞いてしまうことがある。
どうして気に入ってくれているのか、どうして高く評価してくれるのか。
後者の場合は割と具体的な回答をもらえるが、前者となるとそうもいかないことが多い。
「だって、好きなものは好きでしょ。それ以上は細分化できないし、する気もない」
その人自身が、分析を放棄している状態の場合。
感情か本能か分からないが、理屈ではなく答えが出ていることもあるのだということ。
答えが出ていない人は、分析につきあってくれる。
一つずつ丁寧に、こちらの長所を説明してくれたりもする。
それでも自覚していなかったことを指摘されると、反射的に否定したくなってしまうのではあるが。
好きだから、と答えられてしまうと、こちらも思考停止せざるを得ない。
なにがしかの思考過程や経験の整理を経て出た答えかもしれないし、単なる直感かもしれない。
いずれにしても、好き嫌いはまず動かない結論に昇華してしまっていると思う。
はて、自分の好きの持って行き場はどうしたものか。

自分の立ち位置

セルフブランディングなる言葉が最近よく目に入る。
自分で自分に焼き印を押すとは物騒な。なんて揚げ足取りはさておき。
私は「自分が身を置く社会の中でどのような立ち位置にあるかの認識」と解釈している。
「こうなりたい」「かくあるべき」という目標に合わせて設定してしまうのもあり。
「こう見えるのかな」「こう思われていそうだ」という外からの情報で推測するのもあり。
(推測には必ず自分の意思が入るのでよしとする)
そういう認識を持っておくことが、交流する相手に何らかの信頼感を与えるのではなかろうか。


さて、そこで自身はどう認識しているのかと言うと。実はよく分かっていない。
勤めていた頃の考課面談で聞いた評価、最近ついったーで頂く評価、いずれも実は香ばしい。
よくお世話になっている翻訳会社の方からも、ありがたい言葉を頂いたことがある。
しかし、甘言ではないかと疑ってしまって素直に信じられない自分がいる。
皆さん大人なので、他人をなじるようなことは言葉にしないのだろうが。
悲観主義者なので負の言葉を待ってしまっている面もあるのだろうとは自覚している。
たとえ甘言であったにせよ、それすら言うに値しない相手と認識されるよりはましなはずだ。
例外は完璧な裸の王様である場合だが、それはそれでひとつの幸せなので不問に付す。


現実での評価は「孤独を好む職人」、ネットでの評価は「人の輪の中心」とほぼ正反対だ。
複数人からの声なので、どちらも嘘ではないと思う。
そして、二つの「嘘ではないと思う」を「本当だ」に昇華させる過程が、私の宿題。
安易に回答をひねりだして提出すれば許されるものではない、考える過程そのものが課題だ。
暫定結論として、学生の頃までの評価はほぼ関係ない。
良くも悪くもそこをきちんと認識しないと、社会人としてふるまっていることにならないと思う。

接待ごっこ

義母が昼食の予約をしてくれているので、まずは母の手土産を運びがてらダンナ実家を訪問。
しばらくお茶など頂きながら、母達の世間話をそっと聞き流す。
ほどよい時間に義母・ダンナ・母・私の四人で会食場所へ数駅移動。
勿体ないほど贅沢な和食コース料理を頂いた。
食事中、私も聞いていなかったような昔の話をいくつか耳にして内心ざわつく。
物心つくかつかないかの頃から私が伯母の世話になっていた背景事情。
両親が共働きだったからとしか聞いておらず、そんなものかと疑問にも思っていなかった。
母方の祖母が入院していたためだったのだという。
それ以上は聞くまでもなく、いろいろな点と線がつながっていった。
まさに、親の心子知らず。


食後は途中駅で義母と別れ、淡路島へ。
ダンナが珍しく宿を手配してくれていたので、一路そちらへ向かう。
高速バスでは母と並んで座り、話しそびれていたこちらの近況を少し伝えた。
「ずっと孤独な仕事じゃないかと心配していたから、友達ができて何よりだよ」
ぐらいしか返事はなかった。
バスが終点に着くまでの間、父と兄の近況を聞く。
いずれとも直接の連絡がないため、母づてに知るしかない。
まあ相変わらずとしか言いようのない状況だったのは、一応いいことなのだろうか。


予約してくれていたのは、温泉大浴場がある大型ホテルの、何故かスイートルームだった。
「ちょっとの追加料金だったから」というセンスは正直こちらにはなかったので驚く。
母には和室部分に寝てもらい、我々はツイン部分に寝ようという話になった。
お陰で、特に暑がりの母が気兼ねなく冷房をつけられるように。
26度は我々にとって十分な涼しさだったが、客観的に考えれば夏日の気温なのだった。
母と連れだって温泉大浴場へ。
いつになく彼女が小さく、年を取ったように見えた。
特にこれといった話をするでもなく、部屋に戻る。
実は移動中に定期案件が一つ入ってしまったのだが、今回はPCを持ち出していなかった。
母がいるところで仕事をすると、悲しませてしまうからと思い、敢えて自宅に置いて出たのだが。
定期案件は私が客先から指名されており、非常に断りづらい。
しかも分量が少ないので、納期も短い。
部屋にはLAN回線が用意されていたので、愛機さえ手元にあればすぐ済む難易度だった。
ダンナが持参したPCを貸してくれたのだが、ちょっと触って違和感のあまり断念。
帰着後に着手しても納期は守れそうだったので、ひとまず後回しにして何気なく過ごす。


夕食は、これまた豪勢な和会席だった。
開始時刻を遅めにしていたのだが、品数の多さに食べきるのがようやっと。
もう少し若かったら、母が箸を付けなかった揚げ物を譲り受けていたかもしれない。
「もう15年前だったら残さず食べられたのかねぇ」が少し耳に痛かった。
そもそも母は小食なほうだったが、さらに…なのだろうか。


食後、一時間ほどして二度目の入浴。
リビングでついているテレビにどうしても苛立ってしまい、MIDを立ち上げてついったーを覗く。
私がテレビ、殊にドラマ嫌いなのは母も承知しているはず、という甘えもあった。
黙っていては不機嫌に見えそうだし、話しかけたら邪魔になりそうで、不必要に気が咎める。
結局いつもこんな感情を抱いてばかりで、まともな気遣いが何もできていない。
一方的に気まずくなってしまったので、一人で再び大浴場へ。
幸い、私が戻って間もなく二人は就寝した。
こちらは眠れそうにもないので、悪戦苦闘しながらも結局ダンナのPCで翻訳作業。
これでは結局、散財しただけで親孝行にはなっていなかったような気がする。

逆帰省

母が我が家にやってきた。
前回もそうだったが、何泊するか分からない。
当人に聞いても未定とのこと。
とりあえず、麦酒を冷やして新大阪まで迎えに出た。
東日本の朝とは10度ぐらい違うせいか、改札で羽織を脱ぐ母。
ヒートショックにならないかと心配しつつも、まずは自宅へと同行。
長旅でさぞや疲れているだろうと思っていたが、存外に元気なようだった。
まずは烏龍茶で一服してもらい、いつもの放鳥。
顔を覚えていないのか、こまが一向に近づこうとしない。
おやつを手のひらに乗せたら、やっと寄っていった。


まずはひととおり、近況を聞く。みんな相変わらずのようだ。
多少の不調や悩みを抱えつつも、まあ平和に折り合いを付けて暮らしているらしい。
そうせざるを得ないという諦めのようなものが随所に聞こえるのではあるが。
とりわけ深刻だったのは、生活にかかる費用の話。
父の年金は税金やら健康保険料やら天引きされるとほぼ残らないという。
どうにか二十年分ほどの蓄えはあるが、どこまで生きていていいのかという問いに答えられなかった。
今の私には「大丈夫、養ってあげる!」と言えるだけの甲斐性がない。
正直、この先そんなたいそうなものを身につけられる自信もない。
「あんたには先にふるかわ家を支える責任があるからねぇ」のつぶやきが重かった。


はるばる出てきて疲れているところに申し訳ないとは思うものの、積年の悩みをぶちまける。
母が直接どうにかできる問題ではないが、彼女の助力なしに解決できそうにもない。
言質を引きだそうとするつもりはなかったが、静かに「できるだけ伝えておくね」と言ってくれた。


いかんいかん。ちょっとでも親孝行しておかねばならぬ時に、却って心配事を背負わせてしまった。
明日は義母との会食の後、淡路島にでも連れて行こうかと思う。
などとカッコイイことを言いつつ、手配はダンナがしてくれたのだった。

孤独と翻訳と自由業

彼岸を過ぎて狂ったような暑さも鎮まり、ふと過ぎた夏を振り返る。
この夏は、自分にありえないほど、たくさん外出して人と会った。
お会いして話をしてきたのは、主に同業の方々。
個人翻訳者はその定義からして同僚を持ち得ないのだが、皆さん同僚と言っていいのではと思う。
こちらから一方的には、仲間だと思いこんでいるのだが。


仕事をすればするほど部屋に籠もってしまい、通勤先がないので他人と全く会わない生活。
不自然だとは思いつつも、春頃までの三年ほど、そんな日々が続いていた。
ダンナとすら食事中ぐらいしか会話もしないし、外を見てこないので話題すらない。
日本語の鮮度が落ちそうだと危惧しつつも、ここで日記を書くぐらいしか対策してこなかった。
その延長でついったーに指を伸ばしてから、何かがいつの間にか変わってこんなことに。


我ながら鈍いのか全く気づいていなかったが、似たような状況にいる人は結構いたのだ。
業種や業態が同じなのだから、似たような生活を送っていてもおかしくはない。
しかし、何度か出た単発セミナーの交流会では、こんな気持ちになったことはなかった。
仲間がいる
孤独と翻訳業と自由を抱えながら、前向きに歩いている仲間がいる。
それぞれが持つ孤独は、由来も質も違う。だが、どこかしら共鳴するものがある。
それぞれが請ける仕事は、言語も分野も違う。それでも、同じことを悩むことがある。
それぞれが手にする自由は、一見どこも重ならない。それでいて、どこかしら重なり合う。
話題を共有して分かったこと、場を共有して気づいたこと。
それもきっと各人ばらばらなのだが、私の場合、敢えて言語化すれば心強さだ。
(敢えて言語化したところで何が切り落とされたのかは自由にご想像いただきたい)
皆さんにお会いするまで得られなかった感覚であるとは断言できる。

「ツイてましたね」

原稿を待つこと丸々半日、未明に日程変更の憂き目にあった。
変更後の案件について電話があったのは昼前。
さんざんな目に遭わされたので(とは明言しないが)以降の案件もろとも断る。
何ともやるせない気分を抱えていたところ、携帯が鳴った。
「いろいろと大変だったようで…よかったらお茶でもと思ったのですが」とのメールが。
とても救われたような思いがして、すぐに「嬉しい!」と返信を打った。


車で迎えに来てくれたので、目的地を問うこともなく気軽に乗り込む。
見慣れない景色を過ぎて着いた先は、かなり大きなカフェだった。
一階部分の半分ほどが焙煎工場、残り半分が珈琲豆の販売コーナー。
吹き抜けで焙煎工場を見られるようにした二階部分がカフェとして営業していた。
ミルやらドリッパーやら、本格すぎてついていけなさそうな器具がカウンターに並ぶ。
到着した時点では禁煙席が塞がっていたので、しばらく店内を眺めながら待った。
案内された席は一人掛けソファが向かい合わせになっている贅沢な造り。
一人掛けと言っても、女性なら二人はいけそうな大きさだった。
ふかふかさのあまり半分ほど沈みながら注文伺いを待つ。


かなり前から参加を予定しておきながら、先週の案件がひっかかって出られなかったイベントの話を聞く。
まあおおよそ想像していたとおりだったので、妙な安心感を覚えた。
大規模なイベントは遠くで羨んでおくぐらいが丁度なのかもしれない。
少人数でちんまりやろうという企画もちらほらあるようなので、そちらには誘ってもらえたらと思う。
こうして卓を挟んでまったりと話し込むほうがよほど楽なのだから。


気づいた頃には一時間ほど過ぎており、ぼちぼち帰るべき時刻に。
「このお店に禁煙のソファ席があったなんて、…今日はツイてましたね」
そのツキをくれたのは間違いなくこの人だと思う。
まあそういう人にこういう間で声を掛けてもらえたのが、私のツキだったかもしれないが。
支え助けてくれる人に恵まれ、幸せだと実感した次第。