距離感

かなり親しいと思っていた相手との距離をふと意識してしまうことがある。
当然かどうかは分からないが、実は自分が信じていたより遠かったのかという疑問が湧くのだ。
こちらからの働きかけに反応が薄いとき。
相手にそのつもりがないにも関わらず、何かの偶然でそうなる場合もある。
また、相手の新たな一面を知ることで、実際に遠かったのだと認識することもある。
関係性の認識にずれがあったと気づくこともあるし、
そもそもの働きかけが無意味だった可能性も否定できない。
そして、これは当然だが、その答えを提示してもらえることはない。
働きかけを変えてみるしかないと思うものの、大抵そういうときは代案が浮かばないものだ。
ひたすらくよくよしてしまうか、見なかったことにしようとしてしまう。
それで何ができるのかと言うと、何もできない。
まずはできる限り辛抱して相手の反応を待つことにしている。
辛抱ならなくなった時には、苦し紛れにでも思いついた方法で働きかけ直しているのだが。
本当に遠かった場合、気にしないに限るのだろうか。
熟慮ならぬ悩みの末にとった言動が、逆に誤解を与えていないだろうか。
誤解を与えたとしても、解決できれば結果的には問題ないのかもしれないが。
どうも今一歩のような気がしてならない。
それでも朝は来るし、職業生活には支障ないのだが。

そして誰もいなくな…るのか?

ついったーを不特定多数が集まる公園に喩えたことがある。
誰もが適当につぶやいていて、何か気になればそこに反応する広場。
実際の広場と違うのは、つぶやきの「音量」に大小がないことだ。
自分が見ている限り、誰のつぶやきも同じ大きさで響いている。


だが、受け取る側で感じる濃淡は、やはりある。
気になっている人のつぶやきは真剣に追ってしまうし、自分への返信は大事なものに思う。
そうしていくうち、ゆるい仲間ができたり、ちょっとした友達が出来たりした…つもりだった。
なのに、そのみんながいない。
正しく云えば「みんな」ではなく、あの人とあの人がいない。
たった数人で、合計してもそれほどの件数にはならないのだが、いないと寂しくて堪らない。
他のみんながどれだけいても、声をかける気になれないでいる。
そして今いなくなっている人々も、似たような心境を抱えて去っていった。
うっすらとした居心地の悪さ、自分だけが場違いなような孤独感。
ついったーに参加する動機は人それぞれで、必ずしも交流だけではないはずだが。
だが、特定の交流が途切れたことで空いた穴は大きい。
画面を閉じても、家を出ても、その穴を塞ぐ術を見いだせずにいる。


ほんの一年前は覗きもしなかった世界。
半年前に熱病のように盛り上がり、冷めてきて訳が分からなくなった。
落ち着いた辺りで戻ろうと顔を出してみたら、戻るべきところなどなくなっていた。
そもそも二次元に居場所を求めること自体が不健全なのだろうが、ではどうしたらよいものか。
ついったーに触れる前の自分に戻れるかと言うと、分からない。
その頃の方が幸せだったろうとも思えないのだ。
自分が誰かに放り出されたのではなく、自分のいる世界から人が立ち去っただけのこと。
…留まる決断をしたわけでもないのに、ついて行くことができなかった。
彼らにとっての私は何だったのだろうと虚しく立ちつくしているだけ。
出て行こうとも思いながら、どこへ行けばいいのかも分からない。


心当たりのある方、ご連絡いただけると泣いて喜びます。

記憶の在処

気が向いたので、カシオトーンで少し遊んでいた。
電子ピアノにもシンセサイザーにもなれない、もっと手前の鍵盤楽器である。
ショパンの『ノクターン作品9の2』と『雨だれ』を弾いてみたのだが、やはり音楽にならなかった。
どちらも高校の頃は何とか弾けた曲目なのだが、今や全くのうろ覚え。
楽譜をめくれば見覚えがあるし、曲の音そのものは記憶にあるのに、弾けない。
61鍵しかないので上下いくつかの音はそもそも出せないが、それどころではなかった。
長音ペダルもないので、自分をごまかしながら弾くこともできない。
面白いことに、ついて行けないのは右手のほうだった。
しかも面倒な7連符やトリルなどではなく、単調な連打がうまくできない。
左手は存外まともにアルペジオを奏でることができた。


左右の手が別々に動いて一つの曲を演奏する、というのが面白いと感じるようになったのはごく最近。
実家に残しておいてくれたピアノが処分されてから何年になるだろう。
あったところで迎え入れる環境に住んでいないし、その目処も立たないので仕方ないのだが。
追想はともかく、弾けなくなっている原因は純粋な運動能力の問題ではないようだ。
まがりなりにも動けている左手がそう言っている気がする。
目的の旋律を奏でるためにどう動かすべきかの記憶が途切れているから、ではなかろうか。
恐らく記憶があるとしても文書情報などではなく感覚的なものなのだが。
「手が覚えている」といった類の何かだ。
その感覚を取り戻せたら何か面白いことがありそうな気がする。

素直に読んだらいかんのか

某宗教系出版社のベストセラーとやらを読んだ。
書名などを出すと余計なものを惹起するようなのでここでは伏せておく。
と言うのも、家族と云いネットでの知人と云い反応が散々だったのだ。
何もそういう背景を意識せずさらっと読んで、なかなかよくできた本だと感心していたのに。
どうも素直にそう云うと微妙な表情をされるのが納得しがたい。
ねえ皆さん、色眼鏡をかけるほうが正しいの?
誰がどういう目的でいつ書いた本であれ、読み手の身になるものがあってもいいと思うのだが。
確かにそれっぽい内容がなきにしもあらずだったので、心配されてもしかたないかもしれない。
気分が参っているとき、滅入っているときに読んだら危なかったのかもしれないが。
しかし、少なくとも今の私は、そういうときにそういう本を手に取らない。
それでもなお、「危ない人」が書いた本は危ないのだろうか。
まして、読む前の私が「危ない人」ではなかったという確証が彼らにはあったのか?
いちいちこんなことで引っかかる天の邪鬼なので、心配はご無用と云いたいところなのだが。

変化の年

気づいてみると、2010年という年もあと数時間しかない。
傍目には分からないかもしれないが、従来ありえなかったことだらけの一年だった。
外、人々、社会に目を向けられるようになったこと。
自分から人に声をかけられるようになったこと。
斜めに見下すのではなく、自分や人と向き合えるようになったこと。
意外にも自分が受け入れられる存在であると知ったこと。
衷心から敬愛できる仲間に出会えたこと。
そして、いい一年だったと悔いなく振り返られること。


今更かもしれないが、どれも自分にとっては大事な変化だと断言できる。
ここで自分を否定しないことが何より重要だと、今なら思える。
前向きになろう、ならねば、とは以前から思っていたのだが、漸く「前」がどちらか見えてきた。
反省点も勿論ある。
どうしたいのか、何がしたいのか、自分を問い詰めすぎていたかもしれない。
問い詰められて出た答えが自分の望みなわけはないのに。


上記もろもろを踏まえて。
来年は、これまで得てきたものを誰かに、どこかに伝える年にしたい。
ささやかでも。


この駄文をご覧の皆様(、本当はもっとたくさんの皆様)、本年は誠にありがとうございました。

誰かに届け

大昔の話だが、大学入試の二次試験は英語と小論文だけだった。
どちらも、特に小論文には正解がない。
そもそも問題文が実質一文字だったりしたのだ。
恐らく明らかな誤答もなかったのではないか。
原稿用紙の使い方、誤字脱字、文の構成ぐらいしか客観評価のしようがなかったろうと思う。
つまり事前に対策が打てるのもその程度。
ある意味、努力のし甲斐がない試験だった。
英語のほうは多少とも回答を見直す余地があったものの、小論文は書き上げてしまうと動かせない。
途中からやりなおして書いても一貫性に欠けるだけだ、という判断も働いていた。
正解のない、しかも配点が高い(らしい)問題を前に当時の私が考えたことはただ一つ。
万人受けは目指しても仕方がない、誰かに惚れ込ませよう。
何人かいるであろう評価者のうち一人か二人が「この子は合格だ!」と思ったら私の勝ち。
実際どなたが目を掛けてくださったのかは分からないが、幸いその大学に合格した(以下略)。


何故こんなことを思い出したかと言うと、実はこの判断には汎用性があるのではと思ったからだ。
ついったーでもそう、ブログでもそう。もっと言えば翻訳だってそうではなかろうか。
実務文書は誰が見ても分かりやすいに越したことはないが、実際の対象読者は限られている。
限られている対象に特化して見やすくまとめたほうが、訳文としての評価は高い気がしてならない。
その最たるものが社内文書、社内報。
内輪らしい略語を使っていないと後から言われても、何をか況や。
場合によっては読み手のことなんて全く考えていないであろう原文に遭遇することもある。
そういう時こそ腕の見せ所、用途に照らした訳文をひねり出す作業こそが楽しいものだ。
いかんせん、そういう楽しさは得てして経済的合理性と矛盾するのだが。

そこに何もなくても

このところ日記が叙情的なものばかりになっているが。
感情の動きを記録できるようになったというのも進歩と思って綴ることにする。


「心がきれいだったころの自分を思い出す」というつぶやきを目にした。
そんなことを言える人はまだ心がきれいであるに相違ないのだが、果たして自分にはあったか。
なかった気がする。いや、まだないのかもしれない。
閉ざしていて動かさない心にきれいも何もあったものではない。
あるかないかすら疑わしいようなもの。
それでも、その当時からの友人も数人ながらいてくれる。
最近また一人、旧友がついったーに現れた。
同業でも愛鳥家でもない人はほとんど見ていないのだが、彼女は外せない。
何かの情報源になるわけでもなく、慰め合うような関係でもないのだが。
恐らく本来の友人関係なんてそんなものだろう、と今なら納得できる。


少しでも心というか社会への目を開くと、さまざまな人間関係ができてくる。
定義ができている関係、既存の定義にあてはめられる関係ばかりではない。
名札を作って貼ることで整理できるものもあれば、そうでないものもある。
整理したら終わってしまいそうなものも。
対人関係に限らないのだろうが、起点はやはり自分の眼差しなのだろうと思う。
直視するばかりが正しいわけでもないが、遠くから眺めるだけでは分からないことも多い。
本来ならそういう整理は青年期の葛藤を経て身につけられるものかな、と他人事のように思うなど。

参りました

昨日の日記(ではないか)もろもろをご覧になった皆様、ご心配おかけしました。
とは言え何も間違ったことを書いている訳ではないので、削除せずそのままにしておきます。
自分で思っていたよりも気に掛けてくださる方が多くて、…うまく言葉になりません。
改めて自分の社会性の乏しさと仲間の有り難みを実感した次第です。
呆れられた向きも多いかとは存じますが、どうか見捨てずおつきあいのほどを。

閉ざせる世界

いつものようについったーを眺めていて、急に、全ての会話が遠く思えた。
たくさんの人々で賑わう公園を横目に、一人で通り過ぎるような感覚。
それぞれの会話に気をつければ聞き取れないこともないが、参加できそうな話題もなく。
黙って聞き耳を立てているような自分が、無性に厭になった。
全く当然のことだが、私が参加しなくてもその世界は普通に回っている。
現実と違うのは、発言さえしなければ自分の存在が誰からも見えないことだ。
不気味がられることもなく、通報されることもなく、いつまでも存在し続けることができる。
誰にも気づかれることもなく。
ただ見ているのも虚しくなったので、しばらく画面を閉じてみることにした。


一晩たっても、虚しさが癒えることはなかった。
自分への返信もほとんどなかったが、原因はそこではない。
いつもなら遡ってでも読んでいた発言の主が、大変なことになっていた。
見ていなかったので、当然そんなことにも気づいていなかった自分。
気づいたらすぐに何か声をかけてあげられたかもしれない。
あるいは、まだ話しかける余地はあるのかもしれない。
でも、そうすることに果たして意味はあるのか。
逆撫でしてしまうかもしれないし、傷を広げてしまうかもしれない。
私がその人から見えないのと、どちらがましなのだろうか。
半面、大事な人をかばうことすらできずに、私がそこにいる意味があるのか。


意味もなく存在することが許せない自分がいる。
現実と違って、自主参加の世界だから。
画面の向こうにその世界があるのは確かだが、開かなければ見えず、ないのも同然。
同様に、何も言わない私は誰からも見えず、いないのも同然。
鬱屈した空気をばらまくぐらいなら黙っていようかとは思うものの、それが正しいのかは分からない。
もうしばらく頭を冷やしたら、帰りたいと思えるようになるだろうか。
「…いつまでも悲しみは、悲しいだけじゃないから」
ずっと例の曲が頭を回っている。

無責任な優しさ

第三者からのメッセージで何となく傷ついて、その旨を漠然とつぶやいてみた。
公にぶちまけたら相手への中傷になってしまうが、誰かに聞いて欲しかったのだ。
気に掛けてくれた人が一人、つい呼び出してしまい応えてくれたのが一人。
それだけで十分すぎる慰めだったのだが、二人とも話を聞いて同情してくれた。
「その優しさに相手が気づいてくれたらいいのに、勿体ない」
唯々諾々と相手の話を聞いてしまうのは、気が弱くて拒絶できないだけなのだが。
それで「何でも聞いてくれる、話しやすい」と思われているものだろうか。
「落ち込んだ時、いらついている時に一声かけてくれる」
まあたいしたことは言っていないし、半分ちゃかすような気持ちで書き込んでいることも多い。
それでも、受け取り手によっては、ありがたい言葉なのだとか。
私から見たら、どちらもむしろ無責任な言動なのだが。
もしかすると他人様も同じようなもので、私が気にしすぎているだけなのだろうか。
まだまだ、社会との距離の取り方が分からない。