記憶の在処

気が向いたので、カシオトーンで少し遊んでいた。
電子ピアノにもシンセサイザーにもなれない、もっと手前の鍵盤楽器である。
ショパンの『ノクターン作品9の2』と『雨だれ』を弾いてみたのだが、やはり音楽にならなかった。
どちらも高校の頃は何とか弾けた曲目なのだが、今や全くのうろ覚え。
楽譜をめくれば見覚えがあるし、曲の音そのものは記憶にあるのに、弾けない。
61鍵しかないので上下いくつかの音はそもそも出せないが、それどころではなかった。
長音ペダルもないので、自分をごまかしながら弾くこともできない。
面白いことに、ついて行けないのは右手のほうだった。
しかも面倒な7連符やトリルなどではなく、単調な連打がうまくできない。
左手は存外まともにアルペジオを奏でることができた。


左右の手が別々に動いて一つの曲を演奏する、というのが面白いと感じるようになったのはごく最近。
実家に残しておいてくれたピアノが処分されてから何年になるだろう。
あったところで迎え入れる環境に住んでいないし、その目処も立たないので仕方ないのだが。
追想はともかく、弾けなくなっている原因は純粋な運動能力の問題ではないようだ。
まがりなりにも動けている左手がそう言っている気がする。
目的の旋律を奏でるためにどう動かすべきかの記憶が途切れているから、ではなかろうか。
恐らく記憶があるとしても文書情報などではなく感覚的なものなのだが。
「手が覚えている」といった類の何かだ。
その感覚を取り戻せたら何か面白いことがありそうな気がする。

ノマドごっこ

先日、日本通信のDoccica U300なるものを購入した。
FOMA網で上下とも300kbpsのデータ通信が可能という代物であるが、何故かホットスポット(のスタンダードエリアのみ)の使用権もついている。
試す機会もないかと思っていたのだが、大阪市立中央図書館が該当エリアであることが判明。
この図書館は徒歩圏ということもあり、何度か足を運んだことがある。
パソコンを担いで歩くには遠いかとも思ったのだが、思い切って試してみることにした。


ホットスポットが使えるのは、二階の談話室。
室内どこでも使えそうではあるが、今回は「持ち込みパソコン専用席」を借りてみることにした。
まず二階の相談カウンターに専用席利用の旨を伝えて整理券をもらう。
整理券発行時刻から2時間までは利用できるが、以降は利用希望者が出たら順次交代とのこと。
言われた時は少しひやっとしたが、着席してみて安堵。隣の人の整理券が午前中のものだった。
ホットスポットそのものの契約者がどう利用するのかは知らないが、接続は簡単。
baccess.png
bアクセスなるソフトを立ち上げて「3G・WiFi」ボタンをクリックするだけである。
待つこと数秒、よくわからない英語のページが立ち上がったが問題なく接続完了。
Doccica U300そのものと違い、タブの数を気にせず快適に利用できた。
#前者の場合、実質的に4-5枚しか開けない


談話室内では全てのテーブルにコンセントが付いているので、専用席以外でパソコンを使っている人も見受けられた。
専用席と他のテーブルとの違いは、むしろ机の仕様である。
壁に向かって設けられた専用席はちょっとした事務机そのもので、読書灯がついていた。
私には少し眩しかったので読書灯は使わなかったものの、想像以上に快適。
改めて理由を考えてみると、意外にもと言うかお恥ずかしながらと言うべきか、机の奥行きだった。
自宅での作業環境は標準サイズのメタルラックを利用しているので、奥行きは45cmである。
専用席の奥行きは推定60cm以上あった。両肘をまっすぐ置ける余裕がある。
それだけのことで疲れがだいぶ違うのだと気づき、些か驚いた。
これを教訓に自分の作業場所も改良できないか検討してみたいと思う。


所要時間を考えると日常的に通いたいほどではないのだが、状況に応じ活用したい。
JISハンドブックなどの所蔵も豊富なので、調べ物には不自由しないという当然の強みが頼もしいのだ。
また、本体だけで2kg超のパソコンを担いで往復するのも意外と苦にならなかった。
持ってみて「高校の時に持ち歩いていた鞄より軽い」という感覚に軽く衝撃を覚える。
肩掛けもできる鞄なのだが、手持ちでも思っていたより楽だった。
考えてみれば秋口から5kg減量しているので、それでも歩けた距離は歩けて当然のような。

ようやく始動

近くにある神社の「残り戎」に朝から行ってきた。
十日戎という行事やら習慣やらは関西に昔からあるようだが、何故か縁が薄い。
毎年どうしたことかその周辺日程に用事があって覗いたことがなかったのだ。
仕事を抱えバタバタした状態ながら敢えて行ってみた理由は、厄年の札の処分である。
いかに不信心な私でも、お札をむげに捨てることはできない。
元日にも別の神社を覗いてみたが、集めて火にくべている様子はなかった。
十日戎の期間内であれば受け付けてくれるだろうということで持ち帰っていたのだが。
宵戎、本戎は休日と重なってかなりの人出があり何かと心配だったので、残り戎に。
お札を回収する場所がちゃんと案内されていたので、安心して置いてきた。
おみくじを引いたところ、末吉。
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何事も自分からはしないほうがよいとのお告げだった。まるで厄年。
まあ積極的に出歩いて人と会うのは、去年だけで一生分やった気もするのでかまわないが。
それぞれの項目を見ても、芳しいことが書いてあるのは学問のみ。
おとなしく勉強でもしておけということか。
去年いい図書館を見つけたことでもあるし、それもいいだろう。


今年の仕事始めは7日だった。
例年は年越しで何か抱えていたり三が日に海外から受注したりしていたので、珍しく遅い。
しかし副業と本業がほぼ同時にやってきたので、濃厚ではあった。
ほぼ四日半、休まず稼働。睡眠時間は取れたので調子は悪くないが。
どうにか各方面に無理のでないような調整ができる一年にしたいものだと思うなど。

言葉なき便り

年末の買い出しから帰宅すると、宅配便の不在連絡票が入っていた。
差出人は郷里の伯母である。
ものを受け取ってみると、ずっしり重い箱だった。
冷蔵庫の一段をまるまる占領するダンボール箱いっぱいに、地元名産の蒲鉾。
のし紙も添え状も入っていない。
時節柄、紅白の板物と伊達巻きも入っていた。
二人で食べきれる量ではないので、季節物はダンナの実家へ運ぶことに。


私は電話が苦手なので、頂き物のお礼は手紙で済ますことが多い。
しかし今回は何か引っかかるものを感じたので、敢えて夜に電話をかけてみた。
品物は何の変哲もない蒲鉾だし、送られて不審に思う由もない。
ただ何となく、声が聞きたくなったのだろうと感じたのだ。
電話の第一声は、「この前は(家に)いなくてごめんね」だった。
帰省する時はできる限り顔を見せに行くことにしているのだが、先月は会えなかったのだ。
手土産だけを母が後で届けたこともあってか、こちらよりも気にしていたらしい。
その後どうということはない近況を話す声はやはり嬉しそうだった。
そして、努めて明るい声で話そうとしている。
恐らく何か気落ちすることがあったのだろうが、敢えて聞き出そうとはしなかった。
ちょっと聞こうかなと思うと、牽制するような間で「年だから」と苦笑いが入る。
そうじゃないでしょ、と出かかったのを飲み込み、一通り話を聞いた。
気分転換で長姉の旧居にほど近いその店を訪ね、いつもと違う空気を吸ってきたのだそうだ。
本数の少ないバスを乗り継ぎ、何区間分かはリハビリがてら歩いてきたという。
そうして蒲鉾を見たら、私の好物だったと思い出して送ったのだと。
全く彼女らしい。
元気でやっているからご心配なく、としか伝えようがなかった。
「若いからって無理をため込んではいけないよ」
「どこか調子を崩したら、徹底的にちゃんと治しなさいよ」
こちらが見えているかのように、耳に痛い言葉を投げてくる。
何も伝えてなくとも、お見通しなのだ。
そして自分のことは棚に上げて、こちらの心配ばかりする。
夏に顔を見せたときの「あんたは変わらないねえ」と言っていた表情を思い出した。
しばらくしたら、変わらない顔を見せに行こう。
それしかできないことは解りきっている。

筆跡は語る、のか?

癒しスタジアムなるイベントに参加すると称して、岐阜の旧友が来阪した。
どんなイベントなのかも分からないまま、乗り換え案内がてら同行することに。
彼女は既に特定のブースで予約がしてあるとのことで、一時間ほど「その辺ぶらぶらしといて」。
ビューティースタジアム同時開催とかで、前世占いからネイルアートまで凄まじい混沌の世界。
とりあえず二週ほど見て回っても時間は有り余っている。
せっかくの滅多にない機会なのでと思い、開運筆跡診断なるものを受けてみた。
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占い横町の一角?
葉書に自分の住所氏名と「様」を記入し、その筆跡を「心理学で」診断してもらうというもの。
後から聞いた話では、「筆跡心理士」という商売があるらしい(苦笑)
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青字が鑑定してもらった字、黒字は私のメモ(お目汚し失礼)

一通り書き終えて差し出すと、「先生」は開口一番に「ふるかわさん、情の人ですねぇ」としみじみ。
自分では、義理と人情を秤にかけたら義理を取るほうだと思っていたので意外だった。
診断の根拠は、「様」の最後の「はらい」が余分に長いことだという(写真参照)。
この字の書き方のとおり、余韻を引きずってしまうとのこと。
他に指摘された箇所は箇条書きにしてみる。


・一行目の後半が右(紙の縁)に寄っている:精神的に疲れている
・偏と旁の間隔が狭い:他人がつけいる隙のない「自分の芯」を持っている
・紙面に対して字が小さい:自分から前に出て行くタイプではない
・「とめ、はね、はらい」が徹底されている:責任感があり、自分でけじめをつけられる
 (一方で、こだわりが強く自分を追い込んでしまいがち)
・字画に「ひねり、ひっかかり」がない:素直に物事をとらえられる
・木偏の縦画が横画から十分に長く出ている(写真「様」の字):出るべきときは出られる
・横画の閉じが甘い(写真「智」の字):交渉の詰めが甘い


総合診断としては、
・情にもろく一途なところがある
・完璧主義でこだわりが強く、専門職に向いている
・売り込みや交渉は不向き
とのことで、職業を答えたら愉快そうに大笑いされた。
開運アドバイスがもらえるのかと聞いたところ「何をしたい?どうしたい?」と逆質問。
特に夢やら展望やらはないが、人に迷惑をかけず生きていければ、と素直に答えてみた。
「それならこのままで大丈夫。それでも困ったときには誰かに話を聞けばよろしい」とのこと。
そして最後に悪戯っぽく、「どうせ何をしろと言ったところで聞きやしないでしょう」。

紅葉狩り遠足

国保組合のイベントで、宇治の森林公園界隈を歩いてきた。
参加者は事務局の人々を含め総勢27名。
山の肌寒さを心配していたが何のことはない行楽日和で、ゆえに紅葉は進んでいなかった。
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宇治川の透明感が素敵
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一番きれいだったモミジ


知人夫妻も参加していたが、特に固まるということもなく各人が写真を撮りつつゆるい団体行動。
初めてお会いした方や事務局の人々も皆さん気さくで、気まずくなったり恐縮したりということはなかった。
山道だったり階段だったりと変化に富む総行程8.8kmの遠足。
とりたてて写真が好きでもない私ですら携帯カメラを手放せないぐらいなので、皆さん歩きに来ているのか景色を撮りに来ているのかといった勢いだった。
これもデジカメや携帯カメラの普及あってこそかなぁ、とぼんやり思う。


文化芸能国保組合というぐらいなので、参加者(<加入者)の顔ぶれに興味があったのが実は参加の動機だった。
昼食休憩中ひょんなことから事務局の方に参加者名簿を見せていただき興味津々。
文楽関係者、司会業、カメラ関係、デザイン関係…どれが誰だか分からないが面白かった。
人数比率ではカメラ関係の方が多かったように思う。
まあそりゃ翻訳業なんて加入者の時点でそんなにいないわな、と思っていたところ。
「翻訳業の方…元々そんなにいらっしゃらないんですが、ここのところ増えてきましたねぇ」
その経緯を聞いて思わず噴きだしてしまった。ほぼ完全に私のせいだ。
この国保組合、インターネット上で情報を公開していない。
現在ホームページを準備中だそうだが、誰がどう加入できるのか公式情報は流れていないのだ。
なので、先日このブログで紹介した記事を頼りに訪れた同業者が少なくとも3人…。
「あんまりおおっぴらに紹介しないほうがいいですか?」と聞いてみたところ全然かまわないとのこと。
「むしろ健康で若い方が多く加入してくれると安定につながりますし、大歓迎です」とのお墨付きを頂いた。
ただ職域組合なので加入条件を満たす必要が云々。
だからこそ、そういう情報は公開したほうが何かといいのではと思う次第。
実に意外なところで自分の影響力?に気づくなど。

進路

関西学院大学「言語コミュニケーション文化セミナー・入試相談会」に行ってきた。
「人間の言語本能と文法現象」の講義はとても面白く、夢中でメモツイートをした。
終わってから見直してみると、公式ページにある概要以上のものは出てこないことに気づいたため、ここでは再掲しない。
それから院の概要と在学生によるキャンパスライフ紹介などを聞いて、個別相談会へ。
実は相談会の直前まで、かなりここの大学院に挑戦する気でいた。
言語学って面白い、掘り下げてみたい、あれもこれもやりたい!と思っていたのだが。
いざ「ご相談は?」と聞かれると、実は何も言えない自分がいた。
やりたいこと、研究したいテーマ、進学の目的、どれもまとまっていない。
先生も先輩(?)も決して邪険にすることなく話をしてくれたが、要は心が決まってからにすべきだと。
興味のあることを洗い出して、入門書を読んで、師事する先生を検討するようにとのこと。
言われてみれば至極ごもっともなのだが、その瞬間は少し落ち込んだ。
結局のところ、私のしたいことは恐らくキャンパスにはない。
恐らく、としか言えない散逸ぶりが切ないところだが、まずは入門書を漁るところから始めるか。
「本当にここでお役に立てそうなことがあるなら歓迎しますよ」の一言が耳に痛かった。

名刺

再びUstream出演をすることになり、出向いたはいいが名刺を忘れた。
弁護士先生にお会いできる貴重な(少なくとも初めての)機会なのに我ながら迂闊だ。
頂戴した名刺のアドレスにメールをしたものか、書くことがなくて迷ってしまう。


先生はさておき、初対面の方はもう一人いらした。
進行役の社長がかつて講師を務めたセミナーつながりだそうだが、自称「駆け出し翻訳家」。
話を聞いてみると確かに翻訳業務歴は短いようだが、明らかに私より年上だった。
その方から頂いた名刺に、とりあえず目が点。
見たことのない肩書きが踊っている。
当人いわくお遊びで、ちょっとした洒落でつけたものだそうだ。
なるほど名刺交換そのものを話のきっかけにするには役に立つのかもしれない。
でも私には真似できないなと思う。
名刺で遊び心を表現するのは大人の余裕なのかもしれないが、露骨に遊んでいいものか。
渡した相手が見直した時に「あいつがあれか」と思い出してもらう印象として選べない。
よほど話し上手で相手に溶け込めるなら、うまく使いこなせそうなものではあるが。

「ツイてましたね」

原稿を待つこと丸々半日、未明に日程変更の憂き目にあった。
変更後の案件について電話があったのは昼前。
さんざんな目に遭わされたので(とは明言しないが)以降の案件もろとも断る。
何ともやるせない気分を抱えていたところ、携帯が鳴った。
「いろいろと大変だったようで…よかったらお茶でもと思ったのですが」とのメールが。
とても救われたような思いがして、すぐに「嬉しい!」と返信を打った。


車で迎えに来てくれたので、目的地を問うこともなく気軽に乗り込む。
見慣れない景色を過ぎて着いた先は、かなり大きなカフェだった。
一階部分の半分ほどが焙煎工場、残り半分が珈琲豆の販売コーナー。
吹き抜けで焙煎工場を見られるようにした二階部分がカフェとして営業していた。
ミルやらドリッパーやら、本格すぎてついていけなさそうな器具がカウンターに並ぶ。
到着した時点では禁煙席が塞がっていたので、しばらく店内を眺めながら待った。
案内された席は一人掛けソファが向かい合わせになっている贅沢な造り。
一人掛けと言っても、女性なら二人はいけそうな大きさだった。
ふかふかさのあまり半分ほど沈みながら注文伺いを待つ。


かなり前から参加を予定しておきながら、先週の案件がひっかかって出られなかったイベントの話を聞く。
まあおおよそ想像していたとおりだったので、妙な安心感を覚えた。
大規模なイベントは遠くで羨んでおくぐらいが丁度なのかもしれない。
少人数でちんまりやろうという企画もちらほらあるようなので、そちらには誘ってもらえたらと思う。
こうして卓を挟んでまったりと話し込むほうがよほど楽なのだから。


気づいた頃には一時間ほど過ぎており、ぼちぼち帰るべき時刻に。
「このお店に禁煙のソファ席があったなんて、…今日はツイてましたね」
そのツキをくれたのは間違いなくこの人だと思う。
まあそういう人にこういう間で声を掛けてもらえたのが、私のツキだったかもしれないが。
支え助けてくれる人に恵まれ、幸せだと実感した次第。

密会ごっこ

ある程度以上の案件を仕上げた時には、密やかに「打ち上げ」を挙行することにしている。
とは言え一人仕事の打ち上げなので、たいていはダンナと近所でパフェを食べて終わりなのだが。
今回は人生初(!)お友達と半日も遊んできた。
先日から何の気なしに「今度カラオケご一緒しませう」と言っていたのが結実してしまったのだ。
まさに瓢箪から駒。


歌いに行ってしまうと会話する暇もないから、ということで、まずは会食。
コースとまでは行かないが、少しだけ贅沢な釜飯御膳にした。
選んだ理由は「胃に優しいから」そして「時間がかかりそうだから」。
お互い飽食気味で、料理そのものよりも会話優先といった感じだった。
納得してそういうお店を選んだぐらいなので、当然のように話は弾む。
ただ、四方山話や趣味の話といった明るい話題はほとんどなく、むしろ身の上話が多かった。
一人で抱え込んでいると暗くなってしまうような話でも、何故か笑顔で発散できる関係は貴重だ。


食後、いざカラオケ屋に移動。妙な緊張で、二人ともおかしな笑いが顔に張り付いている。
自分の意志で遊ぼうとしているだけなのに、何故か「どうしてこうなった」と思ってしまう。
相手も同じ顔をしていたので、恐らく似たような感情だったのだろう。
なかなかその緊張が取れず、一曲目では声が真っ直ぐに出なかった。
一曲目は準備運動なので、声域ど真ん中で高低差が少ない旋律のものを選んでいるのだが。
まあ状態はお互い様だったので、それでよしとする。
選曲は特に「縛り」なし。気の向いた順に好きな曲を入れていくと、全くかぶるものがなかった。
全く知らない曲を聞くのも悪くない。
「こういうのが好きなのね」という気づきみたいなものもあるし、新しいものを知ることも面白い。
何より、他人様の歌っている姿を観察するのが面白かった。(意地が悪いかもしれないが)
選曲も発声もノリノリなのに、表情だけ深刻すぎるほど真剣。
だからこそなのかは分からないが、話す声からは想像しがたいところにある美声を拝聴できた。
自分の番にはひたすら歌い、相手の番には聞いているだけ。
本気で遊ぶのは本気で楽しい。


地下街のお店でおやつ休憩。
ほんの一休みして解散かなと思っていたが、気がつけば5時すぎ。
1時間ぐらい話し込んでしまっていたらしい。
仕事の引き合いメール着信に促されたような形で席を立ち、やっと?駅で解散。
それにしても、こんなことってあるのね。
些か魂が抜けたような気がしないでもないが、心底から楽しかった。