誰が

日本語では主語を立てず「~と言われています」調の表現が多い。
しかし昨今、誰が言ったのか裏を取るのは意外と簡単になっている。
また仕事などでは発言元によって内容の信憑性を判断することも言わば常識。
切り取られた一部の言葉が跋扈しやすい今日でも「誰が」発信したかには意味がある。

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たいやき おたぎら

国道沿いのほぼテイクアウト専門。
一応ベンチはある。2人ぐらいは座れるだろうか。
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たいやき150円也。選択肢はない。
焼きたてでも保温品でもなく、半端に冷めた状態で渡された。
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温度からすると時間が経っていそうだったが、意外に生地のぱりっと感は残っている。
黒っぽく見えるのは焦げではなく、中の粒あんが透けている箇所。
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豆の味が残るほくほくした粒あんだった。
熱々で食べたらどれほど美味だったろうか。

慰める奴はそもそもいない

幸か不幸か歌詞の翻訳をした経験はないが、かなり難しいのではなかろうか。
ただでさえ言語が変われば同一の意味内容で音節数が変わる。
しかも日本語は「最後まで聞かないと意味が分からない」。
歌詞のように旋律の都合で間が空いてしまう場合、区切りを変える必要もありそうだ。
更に、言語の性質上、情報量の調整も要る場合がある。
そんなことは(散文であっても)当然と認識しておいでの方は多かろう。
ただ、その目を他人でなく自分の手元に向けることができるか。
できている証明を訳文だけでできるか。
恐らくそこに「語学のできる人」との差が出てくる。

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