銀座流売れっ娘ホステスの会話術なる本を読んでみた。
新人ホステス用の教科書といった感じ。
一般人がプロのノウハウから学ぶという目的にはあまり適さない気がする。
そして私にはホステスは務まるまいとも思った。
つきあう必要はあるが親しくもない相手との交流には生かせるのかもしれない。
ただ、本当に親しい/親しくなりたい相手にそんな接し方ができるだろうか。
手作りの無形商品
「お願いがあるんですが」と電話。
前回納品分の訳文を自社スタイルに合わせて返すから参照してほしいとのこと。
「どうか気分を悪くされませんように」と丁重に念を押された。
日本語表現そのものにかなり手を入れているので、気を遣ってくれたのだろう。
誤記の訂正ではなく自分の紡ぎ出した日本語そのものが添削対象なのだ。
先にこう断ってもらえたからこそ心穏やかに受け取れた可能性は否定できない。
できるものなら晒したいけど
ここ三年ほど、「中日友好に関する作文」の和訳を定期的に受注している。
中国のある新聞に公開されている原文ばかりなのだが、訳文は公開できるものか自信がない。
飽くまで個人の作文であって新聞記事ではないので、著作権関係が見えないのだ。
まして訳すために費用を投じてくれている客先の存在もある。
機密情報ではなさそうなので幾分もやもやしたものがあるが致し方ない。
純粋なる魂の為せる仕事
おとちゃんノートで紹介されていた、松山秀太郎 ペーパーモデル展に行ってみた。
私ごときの携帯写真で心苦しいが、この作品達を目にして言葉は要るまい。
ため息やら賛辞やらはいくらでも出せるが、どう評しても失礼な気がする。
この写真では縮尺が分からないかもしれないが、「新聞車ク 3形」とあるほうは新聞紙である。
新聞の文字の大きさに比して見ていただきたい。
他の作品も同様の精密さで創られていた。
開催日時が限られているのが惜しまれてならない。残すは9/11(日)13:00~18:00のみ。
自営だから
自営業というと小規模の商店や飲食店が思い浮かぶが、フリーランスもその一態様ではある。
私の場合は再委託先パートナーや専従者がいないので人件費や原価はかからないが、
働き方によっては同業でもそうした費用がかかる人もあろう。
フリーランスとして活動するのは独立ではあれ起業ではないような気がする。
反して飲食店を開くとなると、華々しい夢のようなものがあるのではなかろうか。
興味はあるものの、経験者に話を聞く機会はないので時々その手の本を読んでみたりする。
見る人は見ている
このブログにコメントを頂けることが少ないのは単なる日記だからと思っていたが、
よもや電話で来るとは想像の斜め上どころではなかった。
曲がりなりにも公開しているし名詞にも載せているので誰が見てもおかしくはないはずだが。
「見て励みになりました!」と言われ数秒ぽかんとしてしまった。
人様の励みになるような前向きなことを書けていただろうか?
むしろドロドロとして心配を掛けるような記事ばかりだった気がしてならない。
実際にそういう日々を送っているのだから偽りはないのだが、些か気が咎める。
明るく報告できる/したくなることをもっと経験して、素直に書けるのが一番なのだろう。
漠然としていて難しいが、そういう日々を目指してみたい。
それにしても、迂闊なことはかけないなと思った次第。
標題に反するかもしれないが。
早さと速さ
正味A4版30枚ほどの翻訳を中一日で終わらせた。
人様の処理速度は存じないが、早いほうではないかと思う。
よほどの事情でもない限り、指定納期ぎりぎりに納品したことはない。
理由はたいがいの場合において感謝されるから、の一言に尽きる。
そもそもの指定納期が短い案件も多い。
ここ一年は特に大量短納期のものが増えてきた気もする。
そうした時に問われるのは早さ。速さではない。
必要なのは求められた日時に間に合うことであって、処理速度とは違う。
処理速度が大きいほど早く結果を出せることも確かだが、それだけではないのだ。
一日のうち何時間を業務に充てられるか。
仕事が早いと言われる主な要因は、むしろこちらではないかと思う。
特に世話をすべき家族もいなければ、つきあうべき近所関係もない。
好きなだけ仕事をしていられる環境は、実は珍しいのではないか。
あるいは非現実的かもしれない。
分単位、時間単位での処理量が少なくとも、時間を多く取れれば早くはなる。
一方、仕事が速いと何ができるのかというと、自分の時間である(はずだ)。
空いた(稼ぎ出した)時間で好きなことができるはずなのだが、
どうもそこに仕事の続きを放り込んでしまう帰来がある。
かくして早く仕上がり納品した結果、目を疑うと言われると気分は複雑だ。
話が物理的に見えない恐怖
結構な規模の案件が重なってしまったため、先週は珍しく夜更かしをしていた。
何故か二件とも引き合いが夕食後。
最近は涼しくなってから散歩に出ているので、外出中の着電だった。
口頭で文字数と納期だけ言われ、内容も分からず諾否を返答するのは意外に難しい。
いかんせん時間が遅いので即答を求められる。
どこかではないこことそこ
書類棚を片付けていたら、2年前のフィットネス記録が出てきた。
運動などの記録を見る分には真面目にやっていたようだが、結果指標は一進一退。
「このままではいけない」と一念発起して始めたことはまだ覚えている。
挫折した記憶も力尽きた覚えもないのだが、気づけばその努力は風化していた。
書類を見る限り、2年前~1年前の取り組みに成果があったとは言い難い。
反して現在、体組成こそ測定していないが、体重は明らかに軽くなっている。
特に何か過激なことをしたわけではなく、むしろ地味に自宅で運動をしていただけだ。
気軽でもなく楽しみでもないのだが、日課として定着している。
それまでの失敗と何が違うのか考えてみると、気の持ちようだけだったかもしれない。
雑音
ここしばらくおかしくなっていて、複数の方に迷惑を掛けてしまった。
どうにか情報を入れて対策を考えねばと思いつつ、色々な本を読むが頭に入らず。
人様に悩みを聞いてもらおうにも、最低限の作文すら組み立てられない始末。
焦るばかりでまともな方向に考えが向かず、気づけば振り出しに戻っている。
何かを考え出すのがいけないのは自覚しつつも、「何も考えない」ことすらできずにいた。
部屋の掃除をして一息ついたところで、ふと電子鍵盤が目に入る。
61鍵しかないので本格的な電子ピアノとは言い難いが、音量調整機能がありがたい。
久々に気が向いたので、手で覚えているソナチネを何曲か弾いてみた。
面白いぐらいに、頭では覚えていない。
「あれ、次は何だったっけ?」と思うところは全く続いていかないのだ。
楽譜を探し出してしばらく読み込んでから、納得して弾き直す。
あれだけ煩くて仕方のなかった内言が、そこにはなかった。
譜面を読み取って手指で再現していく間には、ドミソの文字すらない。
頭を動かしても考え事の要らない活動があったとは、かなり新鮮な驚きだった。
きちんとした音楽には整っていなくとも、充分に楽しめている。
やっと、空っぽになってやり直す方法が分かった。
正解は恐らく他にもあるのだろうが、まずは焦らず。
本来の意味でいい音が奏でられるようになれればと、少しだけ思っている。
