ひょんなことからFacebookに登録してみた。
招待制ではなく登録制だということに気づいてまず怯む。
何の制限もなく誰でも登録できる、ただそれだけのことなのだが。
所謂「個人情報」をここであけすけに公開していいものだろうか?
品
テレビ番組の題名に「どや顔」が出たと思ったら、今度は雑誌の見出しに「どや服」だとか。
この用法(どや+名刺)を肯定的に使う人達の気が知れない。
響きが下品だと感じるのは私だけなのだろうか。
「どや顔」は、テレビ朝日の定義?によると「古くはしたり顔、得意顔」だそうだが、より強く悪意を感じる。
悪意というより、その顔をしている人を冷たく見下す第三者の視線と言うべきか。
愛着のある(ことに目下の)誰かを形容するならまだしも、いたく失礼な気がしてならない。
プロの「いい女」
銀座流売れっ娘ホステスの会話術なる本を読んでみた。
新人ホステス用の教科書といった感じ。
一般人がプロのノウハウから学ぶという目的にはあまり適さない気がする。
そして私にはホステスは務まるまいとも思った。
つきあう必要はあるが親しくもない相手との交流には生かせるのかもしれない。
ただ、本当に親しい/親しくなりたい相手にそんな接し方ができるだろうか。
手作りの無形商品
「お願いがあるんですが」と電話。
前回納品分の訳文を自社スタイルに合わせて返すから参照してほしいとのこと。
「どうか気分を悪くされませんように」と丁重に念を押された。
日本語表現そのものにかなり手を入れているので、気を遣ってくれたのだろう。
誤記の訂正ではなく自分の紡ぎ出した日本語そのものが添削対象なのだ。
先にこう断ってもらえたからこそ心穏やかに受け取れた可能性は否定できない。
できるものなら晒したいけど
ここ三年ほど、「中日友好に関する作文」の和訳を定期的に受注している。
中国のある新聞に公開されている原文ばかりなのだが、訳文は公開できるものか自信がない。
飽くまで個人の作文であって新聞記事ではないので、著作権関係が見えないのだ。
まして訳すために費用を投じてくれている客先の存在もある。
機密情報ではなさそうなので幾分もやもやしたものがあるが致し方ない。
純粋なる魂の為せる仕事
おとちゃんノートで紹介されていた、松山秀太郎 ペーパーモデル展に行ってみた。
私ごときの携帯写真で心苦しいが、この作品達を目にして言葉は要るまい。
ため息やら賛辞やらはいくらでも出せるが、どう評しても失礼な気がする。
この写真では縮尺が分からないかもしれないが、「新聞車ク 3形」とあるほうは新聞紙である。
新聞の文字の大きさに比して見ていただきたい。
他の作品も同様の精密さで創られていた。
開催日時が限られているのが惜しまれてならない。残すは9/11(日)13:00~18:00のみ。
自営だから
自営業というと小規模の商店や飲食店が思い浮かぶが、フリーランスもその一態様ではある。
私の場合は再委託先パートナーや専従者がいないので人件費や原価はかからないが、
働き方によっては同業でもそうした費用がかかる人もあろう。
フリーランスとして活動するのは独立ではあれ起業ではないような気がする。
反して飲食店を開くとなると、華々しい夢のようなものがあるのではなかろうか。
興味はあるものの、経験者に話を聞く機会はないので時々その手の本を読んでみたりする。
見る人は見ている
このブログにコメントを頂けることが少ないのは単なる日記だからと思っていたが、
よもや電話で来るとは想像の斜め上どころではなかった。
曲がりなりにも公開しているし名詞にも載せているので誰が見てもおかしくはないはずだが。
「見て励みになりました!」と言われ数秒ぽかんとしてしまった。
人様の励みになるような前向きなことを書けていただろうか?
むしろドロドロとして心配を掛けるような記事ばかりだった気がしてならない。
実際にそういう日々を送っているのだから偽りはないのだが、些か気が咎める。
明るく報告できる/したくなることをもっと経験して、素直に書けるのが一番なのだろう。
漠然としていて難しいが、そういう日々を目指してみたい。
それにしても、迂闊なことはかけないなと思った次第。
標題に反するかもしれないが。
早さと速さ
正味A4版30枚ほどの翻訳を中一日で終わらせた。
人様の処理速度は存じないが、早いほうではないかと思う。
よほどの事情でもない限り、指定納期ぎりぎりに納品したことはない。
理由はたいがいの場合において感謝されるから、の一言に尽きる。
そもそもの指定納期が短い案件も多い。
ここ一年は特に大量短納期のものが増えてきた気もする。
そうした時に問われるのは早さ。速さではない。
必要なのは求められた日時に間に合うことであって、処理速度とは違う。
処理速度が大きいほど早く結果を出せることも確かだが、それだけではないのだ。
一日のうち何時間を業務に充てられるか。
仕事が早いと言われる主な要因は、むしろこちらではないかと思う。
特に世話をすべき家族もいなければ、つきあうべき近所関係もない。
好きなだけ仕事をしていられる環境は、実は珍しいのではないか。
あるいは非現実的かもしれない。
分単位、時間単位での処理量が少なくとも、時間を多く取れれば早くはなる。
一方、仕事が速いと何ができるのかというと、自分の時間である(はずだ)。
空いた(稼ぎ出した)時間で好きなことができるはずなのだが、
どうもそこに仕事の続きを放り込んでしまう帰来がある。
かくして早く仕上がり納品した結果、目を疑うと言われると気分は複雑だ。
話が物理的に見えない恐怖
結構な規模の案件が重なってしまったため、先週は珍しく夜更かしをしていた。
何故か二件とも引き合いが夕食後。
最近は涼しくなってから散歩に出ているので、外出中の着電だった。
口頭で文字数と納期だけ言われ、内容も分からず諾否を返答するのは意外に難しい。
いかんせん時間が遅いので即答を求められる。