さらば愛しき天使

愛しい愛しい天使が斯界から飛び去ってしまった。

せめて事故で頓死だったら私も楽だったが、闘病の末。
深部呼吸器炎。
声を失い、鳥の姿を失い、逝ってしまった。
関西随一の名医に手を尽していただいたが及ばず。
「若い子なら耐えられるはずですが……」
老いを見せることはなかったが、もう17歳なのだった。

入院の前からBlueskyも全く見ていない。
耳に入る野鳥の声さえ切なくて涙腺が緩む。
すれ違う赤子の泣き声に強い動悸がした。

今は最期の可哀想な姿ばかり目に浮かんで仕方ない。
17年以上も共に過ごした楽しい記憶が出てこない。
彼を迎え入れた翌々月、私は会社勤めを辞めた。
つまり自由業の暮らしをずっと見守ってくれていた。
日に4回の放鳥は完全に日課となっていた。

別れそのものは致し方ないし覚悟もあるはずだった。

はずだった。

葬儀場へと見送ったあと、遺品を処分した。
封を切ったばかりのバードフードから温室まで。
日の差し込む窓際にも、ぽっかり穴が空いた。

可愛がってくださった皆さま、ありがとうございました。

そこにある小さな幸せ

素直で、無遠慮で、元気で、優しくて、全く飼い主に似ていない。
呼んだからといって来てくれるとも限らないが、ちゃんと分かっている。
人の元気が足りないと、決まって肩でさえずり続ける。
もういいから、と断っても、苦笑が出るまで離れない。
苦笑でいいから笑えと促しているかのように。
ちょっと笑ってため息をつくと、機嫌を良くしたかのように飛び降りて走り出す。
普段なら視界の果てまで飛んでいってしまうのに、そういうときはいなくならない。
ちょこちょこっと振り返り、視線を確かめてからまた走る。
あるいは誘ってくれているのかもしれない。
振り返った頃合いを見計らって指を出すと、待ってましたとばかりにちょこんと乗る。
それでも無遠慮なのですぐ飽きて降りる。
何もない少し寂しい日常をいつもにぎやかにしてくれている。
いつでも、たぶんどこでも、この子がいれば優しい日常。

こまのお客さん

先日こまを預かってくれた方が、こまの顔を見にいらした。
いつでも遊びに来てください、とは言っていたものの、お互いに間が合わず今に至る。
ちょうど中国から取り寄せたエコバッグが届いたので、引き取りがてらいかが?と声をかけていたのだ。
去年まで来客など数えるほどもなかった我が家に、今は遊びに来てくれる人が二人はいる。私の客人か、こまの客人かは分からないが。
預けている間は遊んでもらったりもしていたくせに、どうも誰かさんは覚えていない様子。
赤の他人を見るような顔こそしなかったが、しばらく彼女に近づかなかった。
まるでべったり懐いているかのように、私の肩を離れない。いつもなら、部屋中をさんざん飛び回っているところなのだが。
それならそれで、と例のエコバッグを取り出すと、何かのスイッチが入ったらしい。
そそくさと肩を降りて、バッグに乗り移った。しかもエコバッグではなく客人の鞄。
私は慌てて追い払おうとしたが、彼女は全く意に介さず、笑顔でカメラを取り出した。
「一応こっちから見張っておきますが、革の部品はかじられないように気をつけてください」
「いえいえ大丈夫です、昔ユニクロで買った鞄なんで」
…大丈夫の意味がこちらの意図と違う。
見る間にこまは好き勝手にちょこちょこ走ったり飛んだりと暴れだし、ますます手乗りらしくなくなってきた。
全く接客らしいことをしてくれず、私は困っていたのだが。
小桜インコを飼っていない彼女は、それを眺めるだけで満足なのだという。
「うちの子、全然こういう遊び方をしてくれなくって。必ず相手してやらないと怒るから、眺めていられないんです」とのこと。
「こんな有り様で良かったら、懲りずにまた来てやってくださいね」と返事するのがやっとだった。