伝言ゲーム

我が家としては恒例なのだが、新居で使うものの一部は通販で現地へ直送にしている。
まだ配達指定日まで数日あるというのに、配送業者から電話があって仰天した。
「あの、いらっしゃらないんですか?」いるわけがない。未入居だ。

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取捨選択

今日もスーツを何着か捨てた。
リサイクルショップに持ち込んでみたのだが、肩パッドがあるものは買取不可とのこと。
勿体ないとは思うものの、着て不格好になるのではスーツの用を成さない。

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作業進捗

衣類をひととおり片付けたので、食器類の梱包にとりかかった。
転居日ぎりぎりまで使いたいものも当然あるが、考えてみれば知れている。
あと1週間、2人で使うものだけを想定して残せば足りる計算だ。

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最低限の充足

営業所止めとは言え、郷里でも宅急便が復活してくれた。
ADSLが使えなくなっている母はもしや知らないのではと思って電話したが、知っていた模様。
だいぶ落ち着いた様子だったので、近況を少しだけ詳しく聞き取ることができた。
・当面の飲み水と食料は、従姉達やご近所の助けで十二分にあること。
 埼玉に避難している隣人が、荷物を取りに戻るついでにお米を置いていってくれたそうだ。
・実家近辺こそ断水したままだが、親戚のところは水道が開通したこと。
 高齢世帯なので断水中は両親が水を届けていた
・営業を再開するスーパーが少し増えてきたこと。
・母の薬を兄(関東在住)が調達して送ってくれたこと。
 その薬が届いたという知らせで宅急便の件を知ったらしい。
「もう大丈夫」と言い切るのは強がりだろうとしても、ひとまず危機を脱することはできたらしい。
半月分の食材と処方薬があれば、物流の回復まで凌ぐこともできそうだ。
目下の問題は断水だけになった。水道の復旧は来月いっぱいかかるらしい。
少しでも足しになればと思い、市の復興資金口座に募金した。
ひとまず自分ができることもひととおり済ませ、それなりに明るい声を聞くこともできて満足。
上を見てもきりがない。まずは満足しておこう。
直接被災しなかった僥倖の上に、これだけ支えてくれる力があったのだ。
それだけでも幸せではないか。

親孝行とは言い難い何か

実家に行って来てしまった。
母に電話した時「若い人は来るな」と念を押されたのに。
断水と物資不足の窮状を聞くに耐えかねて、文字どおり飛んで来た。
通常50席の小型ジェットしか飛ばない伊丹福島便だが、明日までなら150席の大型機材が飛ぶので交通機関の圧迫にはなるまいと判断した。
何もないというのに父が家を離れたがらない以上、どうにか物流の回復まで凌いでもらうほかない。
とは言え個人の輸送力には限界がある。たった二箱の飲食物が精一杯だった。
水も届けたかったが、立ち寄ったスーパーでは軟水が品切れ。
東北でしか暮らしていない両親に硬水を飲ませるのは忍びなかったので、お茶とスポーツドリンクに変更。
被災地からおよそ遠い伊丹市内でも、一部物品の買いだめは見られた。
…何故かトイレットペーパーなど。
一番あげたかったドライシャンプーは何軒か回っても売り切れだったので断念。
電気とガスは使えると聞いたので、日持ちのする野菜を中心に調達した。
卵も食べさせたいが、空輸できる自信がないので牛乳に変更。
大型機材の臨時便は、疎開と逆方向のせいか乗客が10人ほどしかいなかった。
そもそも回送ぐらいの扱いだったのだろうか。
福島空港は無事そうだったが、よく見ると売店の飲料類が店頭在庫限り。
物流は限られているようだ。
予約しておいたタクシーで一路実家へ。
運転手の話を聞く限り、物資不足の状況は空港近隣でも芳しくないようだ。
タクシーそのものはLPガスなので問題なく走れているが、やはりガソリンがないと言う。
緊急車両扱いのカードを出せば給油できるが、10リットルまでに制限があるそうだ。
スーパーに商品が多少は入るだけましだろうが、入店まで二時間半も並ばされたとか。
それはさておき、実家への道は案内する必要があった。
途中からかつての通勤路だというのに、道標を思い出せず、密かに焦る。
結果的に正しい経路を辿れて安心したが、中心市街地も見ておくべきだっただろうか。
沿道の建物は嘘のように無事だった。
ただ店に商品がなく、明かりがないだけ。
これでは被災地と言っても信じる人は少ないかもしれない。
実家に着く直前の路面が言い訳のように割れていた。
ともあれ到着したが滞在してはいられない。
両親とも在宅だったが、箱を玄関先に置いて、声もかけず立ち去った。
泊まる余裕がない、すなわち当日中に帰阪するには時間がギリギリだったのだ。
それに、来るなと言っていた両親である。
顔を見せると余計に心配をかけるだろうし、冷静を保てる自信もない。
折り返してタクシーが市境付近に差し掛かったあたりで、母から電話があった。
来たなら一泊でもして行けと。
聞いたことのない声だった。
手短に断ると、母の背後から、なだめるような父の声が聞こえた。
いずれにせよ、私に戻るという選択肢はない。無理だ。
申し訳ないが、私はこういう娘なのだ。
強情で無鉄砲で、言うことを聞かない、薄情な娘だ。
あいつらしいと笑ってくれているといいが。

分かっちゃいるけどやめられない(仕事)

もう先週のことになるが、帰省していた。
毎年恒例の、年賀状作成である。
かつては両親も師走に入ってから年賀状を作っていたのだが、近年はこちらの都合でこの時期に。
郷里がさほど寒いはずはないのだが、冷え込みかたが関西とは違うのだ。
しかも、たいてい12月にはあれやこれやと私も多忙になる。
それなら時間が取れる今のうちに、ということで、仕事を調整して帰ったはずだったが。


初日の夕方に副業の打診。業務量だけ聞いても無茶な負荷ではなかった。
実際の難易度は手を付けてみないと分からないこともあり、請け負う旨を返信。
元データは「今晩中に送ります」とのことだったので、まあ次の朝まで何もあるまいと思っていた。
が、夕食後すぐぐらいにデータが届いていてびっくり。


つい、手を付けてしまう。
つい、そのファイルを片付けてしまう。
つい、その続きを…。
つい、両親との団欒を蔑ろにしてしまった。


ダンナは仕事を持ちこまないと割り切って同行していたせいか、夕食後もリビングにいた。
身代わりに置いているようで申し訳ない気もしながら、リビングに出て行く気がしない。
そもそも昔から自分の部屋を与えられていたし、部屋を出る習慣もなかったのだ。
テレビが大の苦手なので常にテレビのついているリビングにはあまり顔を出したくない。
とは言え用があったり声を掛けられたりすれば行くのだから問題はないだろう、と自分では思っていた。
両親だって娘の無愛想な性格ぐらい把握しているはずだ。
と思っているうち3ファイルを納品、だいぶ遅い時間になってしまった。


翌日は午前中に紅葉狩り、夕食には郊外の寿司屋へ連れて行ってもらった。
声がかかれば顔を出すのだ。
しかしやはり、前日同様の「つい」を繰り返し父との会話はなし。
元からそんなにしてないんだってば。


勿論、肝心の年賀状は表書きも含めて印刷を完了している。
初日の午後に素材集を選ぶところから付き合って本文のレイアウトと印刷。
翌日の午後に住所録の整理と表書きの差し込み印刷。
途中でインクが切れたので替えを買うのも付き合った。
私としてはこれで十分だろうと思ってしまっているのだが、ダンナから見るといただけないらしい。
そう言われても、今更いい娘になんてなりたくもないんだよ。

分業と家事分担

親に怒られそうだが、我が家には主婦がいない。
お互いに自由業で終日在宅なので、家事は「やれるほうがやる」ことになっている。
とは言え食事の支度は私、片付けはダンナというところはほぼ決まっているが。
実際「やれるほうがやる」運用になっているのは、ゴミ出しと買い物である。
前者は回収車が来る前に起きている方がやる、というだけで特に問題ない。
少し工夫が要るのは後者、買い物の要件整理である。

要件整理なんて大げさだと思われる向きもあるだろうが、他人に頼むには引き継ぎが重要である。
私が行く時は、向こう数日分の主菜を覚えておくだけで何とかなる。
主菜に必要なもの、冷蔵庫の在庫、食材の使い回しがひととおり把握できているからだ。
一方、ダンナに頼む場合は上記情報を可視化しないと買い物に過不足が生じてしまう。
決して彼が悪いのではない。日常の管理者が私である以上は、私が引き継ぎをして当然なのだ。
買い足すべき品物だけを整理して「買い物リスト」にまとめる。
購入先が分かれる場合は、お店ごとにまとめて書く。
それに加えて、量り売りの品物は目安量も書くべきだという教訓が得られた。
明文化するほど、まとめるほど、どこかの工場っぽくなっていく、我が家の冷蔵庫。
#冷蔵庫にホワイトボードを貼ってあれこれ書き込んでいる