自分で言うのもなんだが、今日はよく働いた。
午前中に転入届、運転免許の住所変更、鍵の引き渡し手続き。
注文してある絨毯が届くまでの間に定期案件の翻訳1件。
絨毯と作業道具を受け取ってから日没まで家中の絨毯を敷いた。
出立
関西在住の最終日。
諸事情あって家人より先に移動するので明日にはもういない。
剥がせるだけの絨毯を剥がし、調理道具をしまい込んだ。
中継拠点
伝言ゲーム
我が家としては恒例なのだが、新居で使うものの一部は通販で現地へ直送にしている。
まだ配達指定日まで数日あるというのに、配送業者から電話があって仰天した。
「あの、いらっしゃらないんですか?」いるわけがない。未入居だ。
取捨選択
今日もスーツを何着か捨てた。
リサイクルショップに持ち込んでみたのだが、肩パッドがあるものは買取不可とのこと。
勿体ないとは思うものの、着て不格好になるのではスーツの用を成さない。
決まらないもの
仕事机は週末まで残す方針が決まっている。
生活用品は半分ほど梱包した。
どうしたものか扱いを決めかねているのが衣類だ。
作業進捗
衣類をひととおり片付けたので、食器類の梱包にとりかかった。
転居日ぎりぎりまで使いたいものも当然あるが、考えてみれば知れている。
あと1週間、2人で使うものだけを想定して残せば足りる計算だ。
仕事をする部屋
転居まで半月を切ったので、荷物の詰め込みを始めた。
使用頻度の低い図書類と保管しているだけの書類の控えなどで棚1本分ある。
段ボール3つで収まるかと思っていたが5つになった。
最低限の充足
営業所止めとは言え、郷里でも宅急便が復活してくれた。
ADSLが使えなくなっている母はもしや知らないのではと思って電話したが、知っていた模様。
だいぶ落ち着いた様子だったので、近況を少しだけ詳しく聞き取ることができた。
・当面の飲み水と食料は、従姉達やご近所の助けで十二分にあること。
埼玉に避難している隣人が、荷物を取りに戻るついでにお米を置いていってくれたそうだ。
・実家近辺こそ断水したままだが、親戚のところは水道が開通したこと。
高齢世帯なので断水中は両親が水を届けていた
・営業を再開するスーパーが少し増えてきたこと。
・母の薬を兄(関東在住)が調達して送ってくれたこと。
その薬が届いたという知らせで宅急便の件を知ったらしい。
「もう大丈夫」と言い切るのは強がりだろうとしても、ひとまず危機を脱することはできたらしい。
半月分の食材と処方薬があれば、物流の回復まで凌ぐこともできそうだ。
目下の問題は断水だけになった。水道の復旧は来月いっぱいかかるらしい。
少しでも足しになればと思い、市の復興資金口座に募金した。
ひとまず自分ができることもひととおり済ませ、それなりに明るい声を聞くこともできて満足。
上を見てもきりがない。まずは満足しておこう。
直接被災しなかった僥倖の上に、これだけ支えてくれる力があったのだ。
それだけでも幸せではないか。
親孝行とは言い難い何か
実家に行って来てしまった。
母に電話した時「若い人は来るな」と念を押されたのに。
断水と物資不足の窮状を聞くに耐えかねて、文字どおり飛んで来た。
通常50席の小型ジェットしか飛ばない伊丹福島便だが、明日までなら150席の大型機材が飛ぶので交通機関の圧迫にはなるまいと判断した。
何もないというのに父が家を離れたがらない以上、どうにか物流の回復まで凌いでもらうほかない。
とは言え個人の輸送力には限界がある。たった二箱の飲食物が精一杯だった。
水も届けたかったが、立ち寄ったスーパーでは軟水が品切れ。
東北でしか暮らしていない両親に硬水を飲ませるのは忍びなかったので、お茶とスポーツドリンクに変更。
被災地からおよそ遠い伊丹市内でも、一部物品の買いだめは見られた。
…何故かトイレットペーパーなど。
一番あげたかったドライシャンプーは何軒か回っても売り切れだったので断念。
電気とガスは使えると聞いたので、日持ちのする野菜を中心に調達した。
卵も食べさせたいが、空輸できる自信がないので牛乳に変更。
大型機材の臨時便は、疎開と逆方向のせいか乗客が10人ほどしかいなかった。
そもそも回送ぐらいの扱いだったのだろうか。
福島空港は無事そうだったが、よく見ると売店の飲料類が店頭在庫限り。
物流は限られているようだ。
予約しておいたタクシーで一路実家へ。
運転手の話を聞く限り、物資不足の状況は空港近隣でも芳しくないようだ。
タクシーそのものはLPガスなので問題なく走れているが、やはりガソリンがないと言う。
緊急車両扱いのカードを出せば給油できるが、10リットルまでに制限があるそうだ。
スーパーに商品が多少は入るだけましだろうが、入店まで二時間半も並ばされたとか。
それはさておき、実家への道は案内する必要があった。
途中からかつての通勤路だというのに、道標を思い出せず、密かに焦る。
結果的に正しい経路を辿れて安心したが、中心市街地も見ておくべきだっただろうか。
沿道の建物は嘘のように無事だった。
ただ店に商品がなく、明かりがないだけ。
これでは被災地と言っても信じる人は少ないかもしれない。
実家に着く直前の路面が言い訳のように割れていた。
ともあれ到着したが滞在してはいられない。
両親とも在宅だったが、箱を玄関先に置いて、声もかけず立ち去った。
泊まる余裕がない、すなわち当日中に帰阪するには時間がギリギリだったのだ。
それに、来るなと言っていた両親である。
顔を見せると余計に心配をかけるだろうし、冷静を保てる自信もない。
折り返してタクシーが市境付近に差し掛かったあたりで、母から電話があった。
来たなら一泊でもして行けと。
聞いたことのない声だった。
手短に断ると、母の背後から、なだめるような父の声が聞こえた。
いずれにせよ、私に戻るという選択肢はない。無理だ。
申し訳ないが、私はこういう娘なのだ。
強情で無鉄砲で、言うことを聞かない、薄情な娘だ。
あいつらしいと笑ってくれているといいが。
