文字通り新鮮

ついったーでコストコの話をしていたら、意外なほどの急展開で連れて行ってもらえることになった。
しかも連れて行ってくれるという人は初対面。
ご家族総出のコストコツアーに向かう途中で私を拾ってくれることになったのだ。
ついったー上では割と親しく、そのうち遊びましょうという話はしていたのだが、実現して正直びっくり。


しかし驚きはそこにとどまらなかった。
ご夫婦+お子さんお2人(小学生と乳児)+私+ダンナの6人だったのだが、
息子さん(小学生)がダンナにべた慣れ。
人間様に「べた慣れ」という表現は甚だ失礼なのだろうが、他に適切な言葉が浮かばない。
ふと見たら手をつないでいる、少ししてまた見たら抱きついている?!
ダンナが子供になつかれやすい人なのは知っていたつもりだったが、まさかここまでとは。
じゃれつきようがエスカレートしてきたので親御さんが声をかけても反応なし。
文字通り店内を引きずり回しながら、夢中でダンナと(で?)遊んでいた。
食事の時もまとわりついて離れようとしない。
「すいませ~ん、ご主人にあんまりにもなついちゃってるみたいで」
「まあ大丈夫だと思いますけど」
「人見知りするところもある子なんですけどねぇ」
と距離を置いてしまう始末。


本当の無邪気さには破壊力がある、と喫驚した。
決して呆れているとか困ったとかいうわけではなく、ただただ感心したのだが。
発達途上の言語感覚を観察するのも色々と新鮮で面白い。
語彙が足りないのかメタ言語そのもので発話していたり、てにをはが合っていなかったり。
興味深い発見が色々あるものだとは思ったが、これが日常となるとそうも言っていられまい。
「全力で相手してやれるから嬉しかったんだろうねぇ」と一仕事を終えた顔でダンナが述懐していた。


本来、私と奥様が知り合いで、買い物がてらおしゃべりでもできればという趣旨だったのだが。
意外にも中国茶の話でご主人と盛り上がってみたり、繰り出される生活の知恵の数々に目を丸くしてみたり。
いつもとは違う刺激と学びに満ちた半日だった。

なにわ堂(野田店)

店構えはこんな感じ。小さなお店をご主人が一人で回しているのかな?
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自称「高級たいやき専門店」。
「高級 北海道あずき」を注文してみた。130円也。
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ホットケースに入っていたので、購入時に新鮮さは感じなかった。
しかし意外にも皮がカリッとしていて十分いける。
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高級を名乗るだけあってか、皮が薄めであんこたっぷり。
ただ、故になのか分からないが些か甘すぎるように感じた。
食べながら歩くのではなく、きちんと渋いお茶で頂くべき物件だったか。

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記憶の在処

気が向いたので、カシオトーンで少し遊んでいた。
電子ピアノにもシンセサイザーにもなれない、もっと手前の鍵盤楽器である。
ショパンの『ノクターン作品9の2』と『雨だれ』を弾いてみたのだが、やはり音楽にならなかった。
どちらも高校の頃は何とか弾けた曲目なのだが、今や全くのうろ覚え。
楽譜をめくれば見覚えがあるし、曲の音そのものは記憶にあるのに、弾けない。
61鍵しかないので上下いくつかの音はそもそも出せないが、それどころではなかった。
長音ペダルもないので、自分をごまかしながら弾くこともできない。
面白いことに、ついて行けないのは右手のほうだった。
しかも面倒な7連符やトリルなどではなく、単調な連打がうまくできない。
左手は存外まともにアルペジオを奏でることができた。


左右の手が別々に動いて一つの曲を演奏する、というのが面白いと感じるようになったのはごく最近。
実家に残しておいてくれたピアノが処分されてから何年になるだろう。
あったところで迎え入れる環境に住んでいないし、その目処も立たないので仕方ないのだが。
追想はともかく、弾けなくなっている原因は純粋な運動能力の問題ではないようだ。
まがりなりにも動けている左手がそう言っている気がする。
目的の旋律を奏でるためにどう動かすべきかの記憶が途切れているから、ではなかろうか。
恐らく記憶があるとしても文書情報などではなく感覚的なものなのだが。
「手が覚えている」といった類の何かだ。
その感覚を取り戻せたら何か面白いことがありそうな気がする。

ノマドごっこ

先日、日本通信のDoccica U300なるものを購入した。
FOMA網で上下とも300kbpsのデータ通信が可能という代物であるが、何故かホットスポット(のスタンダードエリアのみ)の使用権もついている。
試す機会もないかと思っていたのだが、大阪市立中央図書館が該当エリアであることが判明。
この図書館は徒歩圏ということもあり、何度か足を運んだことがある。
パソコンを担いで歩くには遠いかとも思ったのだが、思い切って試してみることにした。


ホットスポットが使えるのは、二階の談話室。
室内どこでも使えそうではあるが、今回は「持ち込みパソコン専用席」を借りてみることにした。
まず二階の相談カウンターに専用席利用の旨を伝えて整理券をもらう。
整理券発行時刻から2時間までは利用できるが、以降は利用希望者が出たら順次交代とのこと。
言われた時は少しひやっとしたが、着席してみて安堵。隣の人の整理券が午前中のものだった。
ホットスポットそのものの契約者がどう利用するのかは知らないが、接続は簡単。
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bアクセスなるソフトを立ち上げて「3G・WiFi」ボタンをクリックするだけである。
待つこと数秒、よくわからない英語のページが立ち上がったが問題なく接続完了。
Doccica U300そのものと違い、タブの数を気にせず快適に利用できた。
#前者の場合、実質的に4-5枚しか開けない


談話室内では全てのテーブルにコンセントが付いているので、専用席以外でパソコンを使っている人も見受けられた。
専用席と他のテーブルとの違いは、むしろ机の仕様である。
壁に向かって設けられた専用席はちょっとした事務机そのもので、読書灯がついていた。
私には少し眩しかったので読書灯は使わなかったものの、想像以上に快適。
改めて理由を考えてみると、意外にもと言うかお恥ずかしながらと言うべきか、机の奥行きだった。
自宅での作業環境は標準サイズのメタルラックを利用しているので、奥行きは45cmである。
専用席の奥行きは推定60cm以上あった。両肘をまっすぐ置ける余裕がある。
それだけのことで疲れがだいぶ違うのだと気づき、些か驚いた。
これを教訓に自分の作業場所も改良できないか検討してみたいと思う。


所要時間を考えると日常的に通いたいほどではないのだが、状況に応じ活用したい。
JISハンドブックなどの所蔵も豊富なので、調べ物には不自由しないという当然の強みが頼もしいのだ。
また、本体だけで2kg超のパソコンを担いで往復するのも意外と苦にならなかった。
持ってみて「高校の時に持ち歩いていた鞄より軽い」という感覚に軽く衝撃を覚える。
肩掛けもできる鞄なのだが、手持ちでも思っていたより楽だった。
考えてみれば秋口から5kg減量しているので、それでも歩けた距離は歩けて当然のような。

素直に読んだらいかんのか

某宗教系出版社のベストセラーとやらを読んだ。
書名などを出すと余計なものを惹起するようなのでここでは伏せておく。
と言うのも、家族と云いネットでの知人と云い反応が散々だったのだ。
何もそういう背景を意識せずさらっと読んで、なかなかよくできた本だと感心していたのに。
どうも素直にそう云うと微妙な表情をされるのが納得しがたい。
ねえ皆さん、色眼鏡をかけるほうが正しいの?
誰がどういう目的でいつ書いた本であれ、読み手の身になるものがあってもいいと思うのだが。
確かにそれっぽい内容がなきにしもあらずだったので、心配されてもしかたないかもしれない。
気分が参っているとき、滅入っているときに読んだら危なかったのかもしれないが。
しかし、少なくとも今の私は、そういうときにそういう本を手に取らない。
それでもなお、「危ない人」が書いた本は危ないのだろうか。
まして、読む前の私が「危ない人」ではなかったという確証が彼らにはあったのか?
いちいちこんなことで引っかかる天の邪鬼なので、心配はご無用と云いたいところなのだが。

初めての有馬

関西に転居して三年ほど経つが、実は有馬温泉を訪れたことがなかった。
半端に近いので行こうという気合いが足りなかったのと、ダンナがいい顔をしなかったのが主な原因。
それがふと、先週末の仕事でくたくたになり「温泉~」とぼやいていたら「有馬でも行く?」となった。
行き当たりばったりで思いついたらすぐ形にしてしまうのが我が家の流儀(らしい)。


何路線かを乗り継いだはずなのだが、改札は一度しか出なかった不思議。
車窓から見える寒々しい落葉樹だらけの風景も意外と旅情をかきたててくれた。
見た目だけでなく本当に寒かったのだが。
神戸電鉄で数十分、体感温度は三度ほど下がった気がする。
よもや晴れた日の午後二時に手袋をはめようとは思わなかった。
しかしふと道ばたを見ると積雪。納得してコートの襟を立てる。
チェックインまで時間があったので、荷物だけ宿に預けて外湯「銀の湯」へ。
宿泊先には金泉が引いてあると聞いていたので、あえて銀泉を浴びに。
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男女別の内風呂があるだけの素朴な共同浴場だが、こざっぱりとしていて快適だった。
特に臭いや手触りを感じるものではなかったが、染みこむような温まり方。
寒い方がありがたみを感じるということなのだろうか。


金泉とやらには夕食後に浸かった。
露天風呂だけが温泉なので、内風呂でさっと温まってから前だけ隠して外へ。
浴槽までは思っていたより遠かったが、間が良かったと見えて独り占めできた。
外気が冷えているのでのぼせはしないものの、ほんの数分でほかほかに。
一泊二日で冷え性が治ったりはしないだろうとは思いつつ、期待してしまいそうなお湯だった。

ようやく始動

近くにある神社の「残り戎」に朝から行ってきた。
十日戎という行事やら習慣やらは関西に昔からあるようだが、何故か縁が薄い。
毎年どうしたことかその周辺日程に用事があって覗いたことがなかったのだ。
仕事を抱えバタバタした状態ながら敢えて行ってみた理由は、厄年の札の処分である。
いかに不信心な私でも、お札をむげに捨てることはできない。
元日にも別の神社を覗いてみたが、集めて火にくべている様子はなかった。
十日戎の期間内であれば受け付けてくれるだろうということで持ち帰っていたのだが。
宵戎、本戎は休日と重なってかなりの人出があり何かと心配だったので、残り戎に。
お札を回収する場所がちゃんと案内されていたので、安心して置いてきた。
おみくじを引いたところ、末吉。
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何事も自分からはしないほうがよいとのお告げだった。まるで厄年。
まあ積極的に出歩いて人と会うのは、去年だけで一生分やった気もするのでかまわないが。
それぞれの項目を見ても、芳しいことが書いてあるのは学問のみ。
おとなしく勉強でもしておけということか。
去年いい図書館を見つけたことでもあるし、それもいいだろう。


今年の仕事始めは7日だった。
例年は年越しで何か抱えていたり三が日に海外から受注したりしていたので、珍しく遅い。
しかし副業と本業がほぼ同時にやってきたので、濃厚ではあった。
ほぼ四日半、休まず稼働。睡眠時間は取れたので調子は悪くないが。
どうにか各方面に無理のでないような調整ができる一年にしたいものだと思うなど。

変化の年

気づいてみると、2010年という年もあと数時間しかない。
傍目には分からないかもしれないが、従来ありえなかったことだらけの一年だった。
外、人々、社会に目を向けられるようになったこと。
自分から人に声をかけられるようになったこと。
斜めに見下すのではなく、自分や人と向き合えるようになったこと。
意外にも自分が受け入れられる存在であると知ったこと。
衷心から敬愛できる仲間に出会えたこと。
そして、いい一年だったと悔いなく振り返られること。


今更かもしれないが、どれも自分にとっては大事な変化だと断言できる。
ここで自分を否定しないことが何より重要だと、今なら思える。
前向きになろう、ならねば、とは以前から思っていたのだが、漸く「前」がどちらか見えてきた。
反省点も勿論ある。
どうしたいのか、何がしたいのか、自分を問い詰めすぎていたかもしれない。
問い詰められて出た答えが自分の望みなわけはないのに。


上記もろもろを踏まえて。
来年は、これまで得てきたものを誰かに、どこかに伝える年にしたい。
ささやかでも。


この駄文をご覧の皆様(、本当はもっとたくさんの皆様)、本年は誠にありがとうございました。

言葉なき便り

年末の買い出しから帰宅すると、宅配便の不在連絡票が入っていた。
差出人は郷里の伯母である。
ものを受け取ってみると、ずっしり重い箱だった。
冷蔵庫の一段をまるまる占領するダンボール箱いっぱいに、地元名産の蒲鉾。
のし紙も添え状も入っていない。
時節柄、紅白の板物と伊達巻きも入っていた。
二人で食べきれる量ではないので、季節物はダンナの実家へ運ぶことに。


私は電話が苦手なので、頂き物のお礼は手紙で済ますことが多い。
しかし今回は何か引っかかるものを感じたので、敢えて夜に電話をかけてみた。
品物は何の変哲もない蒲鉾だし、送られて不審に思う由もない。
ただ何となく、声が聞きたくなったのだろうと感じたのだ。
電話の第一声は、「この前は(家に)いなくてごめんね」だった。
帰省する時はできる限り顔を見せに行くことにしているのだが、先月は会えなかったのだ。
手土産だけを母が後で届けたこともあってか、こちらよりも気にしていたらしい。
その後どうということはない近況を話す声はやはり嬉しそうだった。
そして、努めて明るい声で話そうとしている。
恐らく何か気落ちすることがあったのだろうが、敢えて聞き出そうとはしなかった。
ちょっと聞こうかなと思うと、牽制するような間で「年だから」と苦笑いが入る。
そうじゃないでしょ、と出かかったのを飲み込み、一通り話を聞いた。
気分転換で長姉の旧居にほど近いその店を訪ね、いつもと違う空気を吸ってきたのだそうだ。
本数の少ないバスを乗り継ぎ、何区間分かはリハビリがてら歩いてきたという。
そうして蒲鉾を見たら、私の好物だったと思い出して送ったのだと。
全く彼女らしい。
元気でやっているからご心配なく、としか伝えようがなかった。
「若いからって無理をため込んではいけないよ」
「どこか調子を崩したら、徹底的にちゃんと治しなさいよ」
こちらが見えているかのように、耳に痛い言葉を投げてくる。
何も伝えてなくとも、お見通しなのだ。
そして自分のことは棚に上げて、こちらの心配ばかりする。
夏に顔を見せたときの「あんたは変わらないねえ」と言っていた表情を思い出した。
しばらくしたら、変わらない顔を見せに行こう。
それしかできないことは解りきっている。

二次元半の人々

私の東京滞在中に時間を割いてくれたのは、日曜に集まってくれた4人だけではなかった。
月曜の晩に1人、火曜のお昼にも1人、お店の予約までとって出迎えてくれた「弟子」がいる。


この「弟子」というのが私には(私にも?)いまいちよく分からないのだが。
ついったー界隈には何故か4人ほど、私を「師匠」と呼ぶ同業仲間がいるのだ。
呼ぶと言っても普段から二人称が「師匠」だったりするわけではない。
ふとしたときに出てくる愛称のようなものだということは分かっているのだが。
全員が全員、私より年上で業歴も長い人ばかり。
私のごとき若輩者に何を学ぶのかと尋ねると、不思議と全員が「人生」と返してきた。
(私の把握する限り、4人全員が顔を合わせたことはない)
かなり大げさに聞こえるのだが、言葉にするとそうなってしまうということなのだろうか。
実際にお会いして話をする機会があっても、学ぶことがあるのは私の方なのだが。


言いたいことを一方的に押しつけて満足、という人もいない。
心から敬愛するに値する先輩方が、何故か私を「師匠」と呼ぶ不思議。
皆さんに共通しているのは、日々せいぜい100文字の「つぶやき」を深く読み込んでいること。
人を不快にさせる「つぶやき」をしていないこと。
滅多に顔を合わせなくても(初対面でさえ)全くそうは感じさせないこと。
いつまで話していてもお互い(少なくともこちらは)飽きないこと。
何の話をしていても筋が通っていること。それでいて自ら前には出ないでいること。
建設的な言葉をかけてくれること。
そして、敬意を持って接してくれること。


反射的な同情ではない共感というものを教えてくれた人々。
普段は画面の向こう、二次元のような存在だが、実際に話をしても何らずれは感じない。
言葉をひさぐ存在としては正しくないのかもしれないが、語らずとも共有できている文脈がある。
探るような真似をしなくても、心が通じているのが解るのだ。
私から彼らに何を与えられているのかだけは解らず悩ましいところなのだが、
せめて前向きな力をくれた恩だけでも、いつかは倍返しにしたいと思っている。