ここ数年、日常で出会うサービス業の人々が気になりだした。
親しみを持って交流してみたら何か面白いことが見つかるかもしれない。
カルチャースクール
翻訳学校と呼ばれるものは、及び知る限り学位の取得できる機関ではない。
かつてその外見から「カルチャースクールね」と言われた記憶は今なお鮮明だ。
その時は、ちゃんと勉強しなさいという発破かと思っていた。
コオロギとダイエット
携帯電話からついったーを利用するときはモバツイを使っている。
よく見ると画面の上下に出る広告は違うシステムからのようだ。
みんな板挟み
「私自身も日中友好を望んでいる一人です」と書かれた打診のメール。
差出人はなじみの担当者だが、無論こんな挨拶をよこしたことはない。
つまりそれだけ、少なくとも私の周辺では、あの問題を気にかけている人がいる。
外からの目
授業の感想ではあるが、本筋から逸れるので別項としておく。
八百万の神ましますゆえに
同業の友人と話していた時のこと。
「ハロウィンも日本に定着しちゃったよね」と言われ亥の子餅の話を思い出した。
「いのこもち」と入力して一発変換できるほど人口に膾炙したものではないようだが。
不在
山あり谷ありとは言え、在宅翻訳は素敵な商売だと思う。
受注に至れば自分の世界で仕事ができる。
報酬や作業仕様にも(一応は)交渉の余地まである。
交渉までせずとも、諾否を自分で決められる。
そういう意味で、自分でできる仕事。
特に好きな仕事
仕事を選べるご身分には早いと思いつつも、最近はお断りしてしまうことが多い。
無理をすれば引き受けることもできようが、それでいい仕事ができるか。
順当に考えて無理そうであれば断るのも責任のうち、と自分に言い聞かせている。
それでも引き受けてしまうのは、断り切れない案件と断りたくない案件。
あちらから見ると
今回のJTFセミナーは講義本体も十分に有意義だったが、交流会にも出てみた。
交流会の参加者には翻訳会社から来ている人が多いので「営業」の機会にもなる。
また、担当者のみならず経営層も顔を出しているので、面白い話も聞けるのだ。
簡単ですから
つきあいの浅い会社に限って「難易度は低いので」と値切ってよこすことがある。
ここ1年は端からお断りすることにしているが、そもそも難易度とは何なのだろうか。
個人個人の得手不得手を超越する、客観的に定義できる指標があればよいのだが。
