自営だから

自営業というと小規模の商店や飲食店が思い浮かぶが、フリーランスもその一態様ではある。
私の場合は再委託先パートナーや専従者がいないので人件費や原価はかからないが、
働き方によっては同業でもそうした費用がかかる人もあろう。
フリーランスとして活動するのは独立ではあれ起業ではないような気がする。
反して飲食店を開くとなると、華々しい夢のようなものがあるのではなかろうか。
興味はあるものの、経験者に話を聞く機会はないので時々その手の本を読んでみたりする。

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ある国際化の現場にて

近所の回転寿司屋に行ったところ、注文システムが刷新されていた。
商品選択パネルの表示が多言語表示になっていたのだ。
大人気ないとは自覚しつつも、ついつい試して遊んでしまう(※ちゃんと使っている)

中国語の品書きは基本的に日本語の品名を簡体字に置き換えたものだった。
翻訳らしい翻訳がされているかというと、だいぶ厳しい状況。
「海老」が「鲜虾」、「生海老」が「生虾」になっている。
逆翻訳すると、前者は生の海老、後者は生煮えの海老。
しかし「海老」にぎりの海老は実は生ではない。
この回転寿司屋に限らず、単に「海老」と言うとボイルされたものを指すはずだ。
つまり、結果として、火の通り具合がむしろ逆転している
些細な問題なのかゆゆしき事態なのか、私には分からないが。
英語版では綴りの間違いもちらほら見られた。
また、誤訳とは断定しきれないのだが「葱」が一括置換したように「green onion」。
これも実物は白葱だからむしろ「leek」だろうと思うのだが、そういうものだろうか。
なお、いずれの言語でも訳出されず日本語のままの商品もあった。


利用客は商品写真と同時に文字を見るので、実害はないのかもしれない。
(海老の件はそれでも心許ないが)
それにしても思わされたのが、メニュー翻訳の難しさ。
文字列だけ渡されたら、「海老」は「鲜虾」、「葱」は「green onion」と訳しかねない。
果たしてこの取り違えを翻訳者個人が防ぐことはできるのだろうか。
せめて商品写真を請求するぐらいはしておかないと、と改めて思った。
恐らく他の機会で目にする翻訳メニューにも似たような現象が起きているのだろう。
利用者と翻訳者、両方の立場に立ってみると気分は複雑だ。

対象読者

たいていの入門書は、誰が読んでも分かるように想定した書き方になっている。
前提とされる基礎知識が足りず首をひねることはあるが、読み進めるうち分かることも多い。
少し慣れてくると専門用語の誤植に気づいてしまうこともあるぐらいだ。
しかし専門書となると、やはり前提とされるものについていけないことがままある。
たいていは序文のあたりに対象読者が明示されているので、すぐそれと分かるのだが。
『世界で一番やさしいマンション大規模修繕』なる本を題名だけ見て借りたら失敗した。
対象読者が建築家だったのだ。
しかも半分ほど読み進めるまでその想定が読み取れなかった。
さほど難解な用語や言い回しもなく流し読みをしていて、ある箇所で違和感を覚えたのだ。
読者が管理組合にアドバイスする?
もしやと思って見直してみると、やはり一個の住人ではなく外部の誰かが想定されている。
こんなこともあるものか、と力が抜けた。
体裁がムックで、中身も読みやすいのに、一般書でなく専門書だったとは。
何ら建築に関わりのない私でも、参考になる点は結構あったのでいいと言えばいいのだが。
やはり文章は一部でなく全体を把握しないと危険だ。
仕事の場合、支給される原稿が全文であるとは限らないが。
分からなければ問い合わせる必要を感じた。
それこそあまりに基本的で、同業の誰も意識しない前提なのかもしれないが。

捨象と分析

このところ暇があれば濫読に勤しんでいるのだが、久々に言語学の専門書。
オリンピックの言語学 -メディアの談話分析なる書名に惹かれて手に取った。
学術論文集なので、素人がさらっと読んでいい加減な感想を垂れ流すのは失礼かもしれない。
仕事柄、自分が純粋な素人であるかは首をひねりたいところなのだが。
扱われている「メディア」は新聞の見出し、雑誌・テレビのインタビュー、ブログなど。
頻出単語の統計をとったり、情意装置なるモデルを適用したりして分析し考察したものだ。
日韓の新聞を比較して両言語の特徴をあぶりだそうとするなど、切り口が面白い。
ただ、言語学そのものの素養が自分に足りないのか、見ていて同意できる結論はなかった。
ひたすら、収集されたデータの羅列そのものを眺めている方が得るものは多かった気がする。
もうちょっと調査の手を広げてくれたら、と歯がゆく感じたところも多い。
かといってこれらを引き継いだ研究をしたいかと問われると、やはり首をひねってしまう。
実務家でありたいという意識が顔を出しているのか、自分でも確証はないが。
感じたのは、言語の特徴というより各国文化の特徴ばかりだった。
無意識にそういうものを読み取ろうとしてしまっていたのかもしれない。
それこそ学者でもあるまい、発見はあったのだからよしとすべきなのだろうが。

タフ?

その名も『「もうムリっ!」と思ったら読む本』読了。
具体的に何かに追い詰められていたわけでもないのだが、ふと気になったので手に取ってみた。
標題から察しがつくとおり、ストレス対処の方法論が紹介されている。
要は発想を転換しなされということだが、そう言ってしまっては身も蓋もない。


あなたの周りの「タフな人」を見てほしい。あんがい、「柔らかい雰囲気」の人ではないかと思うが、どうだろうか。(本文P164)
「タフな人」は、自分を責めないという共通点を有している。(本文P166)


ここで「タフな人」と鉤括弧がついているのには意味がある。
周囲からそう言われている、ということの強調だ。
本人がそう意識しているかに関わらず、「タフな人」と評価される人とは。
頑強というより、むしろしなやかな人なのだろうと思う。
まあストレスをどうにかしたい読者に向けて頑強になれと勧める理屈もなかろうが。
あきらめ、妥協、開き直りといったアレな言葉が踊る同書の終盤で「タフな人」が出てくる。
そこにある種の安心感を覚えたということは、この本が効いたということか。

献血あれこれ

自営業でも定期健康診断を、とは言われるが、普段なかなか行く気になれない。
市町村主催のものは日程が不都合だったり、医療機関のものは費用負担が問題だったりする。
まして人間ドックともなると、何万円もかかって時間も縛られ、診断項目はさして多くない。
それを補うであろう存在として勝手に重宝しているのが、献血時のおまけ検査である。
赤十字からの連絡ハガキによると、検査の手法や精度は医療機関並みだという。
各項目について、数字の読み方から標準値まで詳しく列記された説明つき。
そんな血液検査がほぼ好きな時に予約なしで受けられるのはありがたいと思うのだ。

今日は、神戸の南京町で夕食の約束があったので、隣の三宮駅で献血することにした。
献血ルームはJR三宮駅前すぐのミント神戸なる瀟洒なビル、しかも上層階にある。
美しい眺望とまではいかないが、港が見下ろせて開放感のあるところだ。
冷暖房と各種飲料が完備なのは珍しくないとして、ここには何とパソコンがある。
インターネット接続されたパソコンが2台と、持ちこみ用にケーブルとコンセントの用意されたデスクが1箇所。
決して広くはないのだが、呼ばれるのを待つ間に退屈しなくて済み、非常によい。
採血室には20台ほど椅子かベッドか判断つけがたい代物が並べられている。
正面には液晶テレビ、背もたれのちょうど頭を置く部分にはスピーカー搭載。
イヤホンほどではないが耳の近くで音声が聞こえるため、好きな番組を視聴できる。
とは言えテレビを見る習慣のない私には、好きな番組を聞かれても答えかねるのだが。

今日ちょっと気になったのは、「血小板の型の登録」について。
血液検査の担当者が、検体を小分けしながら問診票に目を通していた。
「どこか東日本で型の登録をされていますね。兵庫県でもお願いします」と言われたがぴんとこない。
東京に住んでいた頃どこかのセンターで登録されたのかしら、と答えると
「血小板の型の登録は都道府県単位で行うので、これ…太枠の中を書いていただけませんか?」
登録申請書なるA5ぐらいの帳票とボールペンを渡された。
献血者が自ら手間を掛けて登録を申請するというのも不思議だが、それより登録手続きが存在するということのほうが解せない。
申請した覚えがない東京のどこで私の型が登録されたのだろうか。
まあそうそう悪用のしようがない個人情報だろうとは思うが、何か引っかかった感覚が抜けない。


それにしても献血ルームは個性が豊かというのか品質基準がないというのか、場所によって待遇がまるで違う。
大阪駅前のG25ではキタの街が一望できる広い窓と充実した図書類、選べる粗品。
有楽町の交通会館ではブルーシールアイスクリームがほぼ常備。
渋谷Shibu2ではドーナツ類の軽食が選べて個包装の焼き菓子も多い。
その一方で、献血バスかと思うほど狭くて薄暗いルームもあるのだ。
どこで献血しても一回は一回、というのが何だか不条理に感じる私は、やはり不純だろうか。

訳せても見つからない

淘宝網で買い物をして中国風経由で輸入する流れにも慣れてきた。
自分のネット通販で扱っているお茶だけでなく、参考図書や日用雑貨もぼちぼち取り寄せている。
最近では、鳥好き仲間のリクエストでバッグ類の共同購入ごっこもしているのだが。
同一の商品を示す言葉が多すぎて検索しきれない事態に遭遇。
たとえばこれ、何に見えるだろうか。
coincase.jpg
・小鳥柄の小銭入れ
・鳥柄の小銭入れ
・ひよこ柄の小銭入れ
・小鳥柄の小型ポーチ
……。
他にもまだまだあるが、いずれも写真の商品を示している言葉である。
そして、そのどれもが中国語で検索結果一覧に出てくるのだ。
個人や零細業者が出品しているせいなのか、これといった「商品名」がないように見える。
固有名詞としての「商品名」があれば、それを訳して検索するまでなのだが。
銘柄名の中国語訳(当て字)も複数あるし、商品分類も定まっていない。
一件ずつ詳細情報を比較しながら、こちらで分類していかないと同一性すら把握できないのだ。
なかなか面白い現象だと思う。
「小鳥柄の小銭入れ」が欠品でも「ひよこ柄の小型ポーチ」は十分に在庫があったりするのだ。
誰もが見たままを文字に起こすと、全く同じ言葉にもならないし全く違うものにもならない。
微妙なずれがあって、似通った何かの像がぼんやりと浮かび上がる。
そこに正解はないのだ。
語学力の問題より先に、検索する技能が必要だということだろうか。
まあそれとても、検索結果が読めなければ話にならないのだが。

買えるけど買えない

大阪のIKEAに行ってみた。
一通り歩くと2kmあるという動線は、最初から順路が決められている。
博物館よろしく、通路に矢印が描いてあるのだ。
これといってお目当ての品があるわけでもなかったので、おとなしく順路に従って「参観」する。
12帖のモデルルームから75平米の家全体モデルまで、使用見本も数多い。
「この部屋の家具が全部で6万円」などという展示まであった。
ふうん、と感心はするものの、欲しいという気分にまでは至らない。
とても色鮮やかでおしゃれな家具や内装の数々なので、目の保養にはいい。が、欲しくならない。
一緒に歩いていたダンナに話すと、「うちには似合わないよねぇ」と。ごもっとも。
ゼロから居住空間を作るなら、色々と買い進めていくのも楽しいことだろう。
しかし結婚して9年、現住所に越してきて2年も経つ我々には、現実的な話には見えない。


そこで感じたのは、自分の欲しいものは物ではなくて空間だということだ。
個別のクッションやら座卓やらが欲しいとは全く思わなかった。
システムキッチンを見ると惹かれたのだが、それが丸ごと欲しいわけではなかった。
つまり、私が欲しいのは台所そのものなのだ。
システムキッチンを買うお金ならあるが、買っても置く場所がない。
よしんば置けたとして、使いようがない。
そういうものばかり欲しいのだ。
しかし家を買うとなると敷居が高い。
数年は具体的な構想もなくぼんやり夢見て暮らすのだろうか。

犯人ハ捕マエマシタ

先月に輸入したAndroid携帯がAUのSIMカードでは動かないので、中国電信のSIMカードを取り寄せた。
大陸に銀行口座を持っていなくても使えるタイプを探していたら広東電信になってしまった。
広東省から上海の代行屋までが遠いので、届くのに時間がかかるのは納得している。
だが問題はそこではなかった。中身がなかったのだ。
商品にクレームをつけた経験が国内ですらなかったので、勇気と作文力を振り絞って問い合わせた。
不幸中の幸い、発送品専用掲示板でのやりとりなので会話力は要らない。
感情的にならないように、かつ事態がきちんとつたわるように、頑張って苦情をしたためた。
「他の品物は入っていたが、SIMカードだけ入っていないので使えません」
と、「状況ヲ確認シタイノデ写真ヲオ願イシマス」との返事。
流石にそれ以上の追跡はしてくれないかな、と思いつつ写真を送ると
「荷物ノ外装ニ破レハアリマセンデシタカ」と来た。
「SIMカードの小袋だけ破れてました、あとは無事でした」と答えて3日後。
放置されているのかと思っていたら、ちょっと意外な返答が。
「弊社ノ包装担当ガ起コシタ事件デシタ。解雇シ罰金ヲ払ワセマシタ。商品代金、国内運賃、サービス料ヲ全額返金サセテイタダキマス。ゴ不便ヲオカケシテ申シワケゴザイマセン」
確かにそこのシステム内残高は増えていた。
返金対応というのもすごいが、人の物を盗んだからクビというのも斬新に見えた。
日本だと一発解雇にはならないような気がする。

日本向け個人輸入

ヤフー・ジャパン(Yahoo! JAPAN)は1日、中国最大の消費者向けEコマースサイト「陶宝(タオバオ)」と提携して「Yahoo!チャイナモール」を開設した。(サーチナのニュースより)
この陶宝網という存在は日本で言う楽天市場のようなもので、たくさんの個人や企業が出店している。
Yahoo!チャイナモール」は陶宝網との連絡を担い、日本語で中国の商品が個人輸入できるというサービスだ。
ところが、上記のニュースを見てのとおり中の日本語がかなり怪しい。
決済機能に関わるところだけはしっかり日本語で作成されているのだが、商品内容は機械翻訳なのだ。
「思う。霓のはかま/チャイナドレス/白い純棉の黒い絹織物は23#を飾って/類をカスタマイズして」
機械翻訳であることが明示されているだけ良心的ではあるが。
商品分類が分かりやすいとはいえ、個別がこれで大丈夫なのだろうか。
むしろ、この字面が普通の日本人に受け入れられてしまうと私は商売あがったりだ。
「意味が分かるならいいや」を体現すると、極論こうなってしまう。
流石にここまですごい「日本語」はそうそう歓迎されないだろうと楽観しているが。
尤も、値段が十分に安いと思う人が多ければ、サービス自体が支持される可能性は十分にある。
※国際送料抜きの値段で中国の倍額が安いのかどうか。
しかも一部の商品カテゴリ/商品は掲載されていない。
今の時点で断言できるのは、私は陶宝網で十分、ということだ。