少しでも有用そうだと感じたセミナーや勉強会にはできるだけ顔を出してきた。
そうした場所で薦められた本、出会った本も読むようにしてきた。
…英文和訳の。
それはない
ひどい引き合いのメールが来た。
「いつもありがとうございました。(中略)はじめまして」
慰める奴はそもそもいない
幸か不幸か歌詞の翻訳をした経験はないが、かなり難しいのではなかろうか。
ただでさえ言語が変われば同一の意味内容で音節数が変わる。
しかも日本語は「最後まで聞かないと意味が分からない」。
歌詞のように旋律の都合で間が空いてしまう場合、区切りを変える必要もありそうだ。
更に、言語の性質上、情報量の調整も要る場合がある。
そんなことは(散文であっても)当然と認識しておいでの方は多かろう。
ただ、その目を他人でなく自分の手元に向けることができるか。
できている証明を訳文だけでできるか。
恐らくそこに「語学のできる人」との差が出てくる。
ないない尽くし
仕事の依頼があっても全て断るつもりで商売道具を持たず出かけたのが運の尽き。
そういうときに限って、どうにも断れない案件がやってくるものだ。
ベストエフォート
強く自戒を込めて。
できるだけのことをしても、できない仕事があった。
いつもの人
納期まで余裕があるのでもう少し訳文を練ってほしいという主旨のメールが来た。
続けて「これからもお願いしたいので是非ご覧ください」と校正戻りが添えてある。
再考
出版翻訳講座も半期の折り返し。
久々に和訳の番だった。
「今回(課題の難易度)はどうでしたか」と問われてもいつ解いたかすら記憶にない。
みんな板挟み
「私自身も日中友好を望んでいる一人です」と書かれた打診のメール。
差出人はなじみの担当者だが、無論こんな挨拶をよこしたことはない。
つまりそれだけ、少なくとも私の周辺では、あの問題を気にかけている人がいる。
翻訳の次元
出版翻訳講座の日中訳3回目。
コピー類と法律の紹介という、対照的な難敵が相手だった。
前者は読者に見せるのを本音にするか建前にしておくか判断に悩むところだ。
そういうときは、複数の訳例を用意しておけばいいという。
依頼元の意図や好みに合わせて選んでもらうなり相談するなり対応のしようはある。
外からの目
授業の感想ではあるが、本筋から逸れるので別項としておく。